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2018-08-02


2018-07-10

私たちが学習者として振る舞うときに、それが「固有名」なのか「専門用語」や「一般名辞」なのかを区別したがる傾向。化学の初心者だったとき、私たちの多くは、「元素名」もまた「人名」や「地名」と同様に「固有名に対する態度」で記憶や学習をしようとしたはずである、という事態。

ここでは「元素の名前」と「元素名をもつ物質」との相違という問題もある。「名前」のほうは限りなく固有名詞に近いが、その一方で「そのような名前をもつ原子」となると、これは宇宙の中にいくらでもあり(しかも数えることもでき)したがって、これらは指すときは固有名詞ではまったくない。

歴史上の概念で、時代や地理にあまり制限されずに適用することができる概念がいろいろと存在する(「国家」とか「侵略」とか)。ただ、それらがたとえば「未来」にも同様に適用できるかどうかはわからない。その意味で、いっけん固有名のように思えない名辞も、実は「日本」や「現代(20世紀から21世紀の現代)」という固有名を隠し持っている、とは言いうる。つまりこれらの概念も厳密に記述していけば、固有名がその定義文に必ず登場しうる。もっと言えば「地球」という固有名を隠し持っているとすら言える。この意味で、厳密に「固有名の登場しない定義文」はありえないことになる。つまり、概念としては役に立たないことになる。厳密な定義の中に「地球」「日本」「現代」などが登場するからといって、それらもまた固有名と区別がつかない、と規定することにはあまり意義が無い。


2018-06-18 功罪:野矢著「ジョン・ロックへ、あるいは論理学の答案の余白に恨み言を書きつけてきた学生へ」

野矢茂樹氏のエッセイ「ジョン・ロックへ、あるいは論理学の答案の余白に恨み言を書きつけてきた学生へ」が、21世紀の<国語>科教育に与えただろう、負の影響を以下指摘する。今日2018.06.18は大阪に大きな地震が起こり、今後も予断を許さない状況であることから、メモ書き程度に要点を簡単に述べるにとどめる。なお、このエッセイは『他者の声 実在の声』(産業図書,2005)に収録されており、初出は日本評論社の数学セミナー増刊『数学の教育をつくろう』(2002)である。

このエッセイは数学教育に関心があり数学の素養がある読者を全面的に想定しているにもかかわらず、「国語科と数学科とが相互浸透したほうが良い」などということも述べ、国語科教師までもが関心を持つような書き方になっていることが、大変にまずいと言える。また、これと同じ種類のまずさとして挙げられるのが、「論理というのは文系とか理系といった枠に収まらないものだ」というふうに著者が主張していることだ。これらは数学の素養のある読者に向けて、彼らの意識改革を促すような仕方で主張されるのならば構わないのだが、国語教師がこれを見て「そうだそうだ」などと言い出すような仕方で主張するのは大変にまずい。上記二つをまとめれば、数学セミナーという雑誌の増刊号に掲載される分には構わない内容が、哲学書として本屋に並び国語教師の目に触れるようになるとまずい内容である、というわけだ。

その読者想定のまずさが影響を与えうるのはとりわけ「非論理的」という語である。著者が「非論理的」という語を使うときには、「論理法則の適用のしかたを誤る」というケースは想定されていない。それがすごくまずいのである。著者のように東大理1に合格でき数学者を最初目指していた者や、初出の掲載誌を読むような数学教育に関心の高い読者には想像もつかないことだろうが、世の中には、或る導出とその裏や逆とを平気で一緒くたにしたり、部分否定にすべきところを全否定にしたりするような、「非論理的」な人もたくさんいるのである。またとりわけ国語教師養成課程の教授などにもいる(いた)のである。そのような「非論理的なケース」をまったく想定外にした上で述べられているのが、このエッセイなのである。だから著者の云う「非論理的」というのは「論理法則を間違える」という意味でのそれではない。そうではなくて、たとえば「帰納法は非論理的である」というような意味での、いわば「飛躍」した推論のようなものを中心的に念頭に置いていると見るべきなのだ。この場合、それが「飛躍」であることは当人がよく理解している点で、「論理法則の適用の誤り」とは異なるのである。しかし、そのように著者の「非論理的」の適用対象が一面的であることは、「論理法則の適用を間違えるという非論理的な者」には読み取ることができない。

ついでのことを述べておけば(飛ばして構わない段落)、著者は数学的能力の中心にあるのは論理性とはあまり関係がない能力なのではないか、と述べる。たぶんその通りだろう。ただ「数学的能力のなかで論理的能力は中心ではない」からといって、不必要なわけではもちろんない。つまり「数学のできる人は論理的能力が高い」ということは言えないのだが、だからと言って「数学のできる人が論理的能力が著しく低い、ということはめったにない」ということまでも言えない、なんてことはないのだ。つまり数学という科目や分野は、「あまりに論理性の低い者」が入れないようにする、という役目は果たしている可能性が高い、ということだ。その意味で、「数学のできる人という集団」と「数学のできない人という集団」とで比較した場合、前者のほうに論理性の著しく劣る人が含まれる可能性は低い、ということは言えるのだ。そしてその場合の論理性というのは、導出とその裏や逆とを混同しない、とか、全否定と部分否定を混同しない、とかそのレベルかもしれないのだ。

「論理性が低いがゆえに数学ができない、という国語教師」がこのエッセイを読んだら、たいへんにまずいことになる。その国語教師が野心だけは人一倍はちきれているような人ならば尚更である。

国語教師にこのエッセイが読まれると良くないという理由がもう一つある、それは「日本語も実は論理的である」といった類のフレーズが、言語学や日本語学・国語学界隈で唱えられることがあることだ。この種のフレーズは私は実は全然わからない。「日本語は実は論理的だ」とか「日本語は非論理的だが英語は論理的だ」とか、どういう方向でも構わない。ようは「言語体系自体が論理的(または非論理的)である」ということが何を意味しているのか、私にはよくわからない(しあまり興味も無い)のである。ともかく、肝腎なのは、その種の「○○語は論理的である」というときの「論理的」と、野矢氏のエッセイの中で言われる「論理(能力)」というものとを、どのように位置づけ直すかという課題が国語教師に委ねられる可能性があるということだ。これが大変にまずいのである。少なくとも工藤順一という人のわけのわからない本(「論理に強い子がなんとかかんとか」とかいう本)を見ると、この「位置づけ直し」が無残に失敗したということが推測がつく。たとえば、「論理的とは、他人に説明する能力のことであり、それはつまり一文単位で云えば、5W1Hのどれも欠けていないような文を構築する能力のことである」とでもいうように、「どこにも存在しないだろう“論理的”の用法」を発明してしまった失敗作である、その失敗に野矢氏のこのエッセイも一役買ってしまった、ということが推測される。この工藤とかいう個人が失敗するのはまったくどうでも良いのだが、それによってこの人の本で教わる生徒とこの人の本に学ぶ<国語>教師には、甚大な損害がもたらされることになる。

まもなく「論理国語」とかいう新科目が政府の都合に適合するように高等学校で教えられるようになるが、その前に、総括しておくべき点の一つとして、野矢氏のエッセイの問題点の指摘をしてみた。


2018-05-16 語彙力のための設問集

「高畠通敏『平和研究講義』」『高校の図書館で良い頭になりたい』の作業が途中のまま、このコンテンツの「設問」化を行なう試みをここでしている。

語彙力には、「受信する」(読む・聴く)ためのものと「発信する」(書く・話す)ためのものとがあり、先に必要になるのは概ね前者である。また日本語の場合は漢字語が多いため、聴くことができるためにも読むことができるという識字能力がまず先行する必要がある。そして、そのような「文字を読んで受信する」という活動に見合った「設問」を考える必要がある。その一つの方途として、「定義文」を読んで、「定義されている語」を「当てる」という設問形式が想定可能であると思った。それが以下である。随時加筆修正などしていく予定。

アジア大陸東端から南方に突出し、日本海と黄海とを分ける半島。
朝鮮半島
デジタル大辞泉
アメリカ合衆国、カナダ、メキシコによって署名され、北アメリカにおいて3か国による貿易圏を生み出した自由貿易協定。
北米自由貿易協定(NAFTA)
wikipedia
アメリカ大陸の北半球中緯度から南半球にかけて存在する独立国及び非独立地域を指す総称。
ラテンアメリカ
wikipedia
ある国からの植民によって形成された地域。または、特定国の経済的・軍事的侵略によって、政治的・経済的に従属させられた地域。
植民地
大辞林 第三版
ある人種・民族を、計画的に絶滅させようとすること。
ジェノサイド
デジタル大辞泉
ある政治的な意図をもって軍備の増強を双方向的に限定すること。
軍備管理
wikipedia
ある民族が他の民族や国家の干渉を受けることなく、自らの意志に基づいて、その帰属や政治組織を決定すること。
民族自決
大辞林 第三版
ある問題に対して2つの選択肢が存在し、そのどちらを選んでも何らかの不利益があり、態度を決めかねる状態。
ジレンマ
wikipedia
イエスを救世主として信じる宗教。
キリスト教
知恵蔵
イギリス帝国の最盛期である19世紀半ばごろから20世紀初頭までの期間を表した言葉。
パクス・ブリタニカ
wikipedia
一定の合理的な方法で編制された行政組織が,そのことにより社会に対して統制力を発揮するに至ったとき,そのような作用,または作用の中核となる組織自体。
官僚制
世界大百科事典 第2版
一般市民と同じ私服・民族服などを着用し民間人に偽装して、各種敵対行為をする軍人。
便衣兵
wikipedia
一般的には,欧米先進資本主義諸国 (第一世界) ,社会主義諸国 (第二世界) に対してアジア,アフリカ,ラテンアメリカなどの発展途上国をさす呼称。
第三世界
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
インドシナ戦争後に南北に分裂したベトナムで発生した戦争の総称。
ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)
wikipedia
馬を移動手段とし、非定住生活を送る遊牧民。
騎馬民族
wikipedia
ウラン235,プルトニウム239などの原子核分裂の連鎖反応のさい放出される核分裂エネルギーを破壊目的に利用した核兵器。
原子爆弾
世界大百科事典 第2版
王が絶対的な権力を行使する政治の形態。
絶対王政(絶対君主制)
wikipedia
核分裂や核融合など、原子核反応によるエネルギーを爆発的に発生させ、大量破壊や殺傷のために用いる兵器。
核兵器
日本大百科全書(ニッポニカ)
かつて主に戦地で将兵の性の相手をさせられた女性。
慰安婦
wikipedia
加盟国の経済的発展、開発途上国への援助、貿易の拡大などを目的とする国際協力機関。
OECD(経済協力開発機構)
デジタル大辞泉
関税や輸出入規制など貿易上の障害を排除し、自由かつ無差別な国際貿易の促進を目的とする国際経済協定。
GATT(関税と貿易に関する一般協定)
デジタル大辞泉
外国と交通や貿易を始めること。特に、幕末に鎖国を解き、西欧諸国と外交・貿易関係を結んだこと。
開国
大辞林 第三版
外国の政治的支配から民族の主権と自由の回復を求める戦争。
解放戦争
大辞林 第三版
共通の祖先を持つ血縁集団、または、共通の祖先を持つという意識・信仰による連帯感の下に結束した血縁集団。
氏族
wikipedia
キリスト教で、神の支配・統治する国。中世ではカトリック教会とされ、近代では、倫理的・道徳的なもの、また現実的な世の終わりの待望として理解される。
神の国(神の王国)
大辞林 第三版
近世初期以降、封建的身分制で最下層に位置づけられた人々を中心に形成され、現在もさまざまな差別を受けている地域。
被差別部落
デジタル大辞泉
金銭的報酬を条件に、契約に基づいて軍務に服する兵。
傭兵
大辞林 第三版
近代国家において人または国民の基本的な権利を宣言・保障する一群の成文規定。
人権宣言
世界大百科事典 第2版
近代において,封建的社会体制から解放され自由と平等を獲得した自立的個人である市民によって成り立つ社会。
市民社会
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ギリシア,ローマの古代文化を理想とし,それを復興させつつ新しい文化を生み出そうとする運動。
ルネサンス
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
国が国民の最低文化生活を保障する制度。
社会保障
百科事典マイペディア
国と国との間の商業取引。
貿易
世界大百科事典 第2版
国や地方公共団体(政府等)が、公共財や公共サービスの経費として、法令の定めに基づいて国民や住民に負担を求める金銭。
租税
wikipedia
君主制下で官僚組織をともなった政府および政権。とりわけ中国と日本におけるものを指す。
朝廷
wikipedia
君主の下にいる諸侯たちが土地を領有してその土地の人民を統治する社会・政治制度。
封建制
wikipedia
結婚・養子縁組などのとき、嫁や婿ないし養子が実家から縁づく先へ持って行く金。
持参金
大辞林 第三版
権威をふりかざして他に臨み、また権威に対して無批判に服従する行動様式。
権威主義
大辞林 第三版
権力者が逮捕・投獄・暗殺などの暴力的手段によって反対者を弾圧して強行する政治。特にフランス革命時代のロベスピエールらによるジャコバン派独裁をさす。
恐怖政治
大辞林 第三版
工業化の進展した国、あるは進展した後の状態にある国。
工業国
wikipedia
工業が発達し経済が発展している国。
先進国
百科事典マイペディア
国際間の財貨・サービスの取引に際して,各国が原則的に貿易政策や為替政策による政府介入を行わず,市場の価格調整機能に任せること。
自由貿易
世界大百科事典 第2版
国際社会の諸関係を規律する法。
国際法
百科事典マイペディア
国民兵によって編制された軍隊。または、1789年フランス革命勃発とともに、貴族の武力反動から革命を守るために各地で組織された市民による自衛軍。
国民軍
デジタル大辞泉
個人が直接にも間接にも抑圧を受けることなく自己の思想・信条・意見を公に発表できる自由。
言論の自由
大辞林 第三版
個人の自由を尊重し,これに対する国家の干渉を排除しようとする政治思想。
自由主義
百科事典マイペディア
国家が一定年齢の国民に兵役義務を課して強制的に軍隊に入隊させる制度。
徴兵制
デジタル大辞泉
国家の支配下にある地域が独立を目的として起こす戦争。
独立戦争
wikipedia
国家の領域を,他国の領域または無主地または公海から分かつ地球表面上の線。
国境
世界大百科事典 第2版
国境線で区切られた国の領土に成立する政治組織で、その地域に居住する人々に対して統治機構を備えるもの。
国家
wikipedia
国権の最高機関として政府に対する監視をなし、立法をはじめとする意思決定を行う、公選の議員を中心に構成される合議体。
議会
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
古代イスラエルに発祥し,唯一至高の神ヤハウェを奉じる世界最古級の宗教。
ユダヤ教
百科事典マイペディア
古代から現代まで国家の軍隊の軍人や、それに準ずる戦闘組織の構成員。
兵士
wikipedia
国家が証券発行という方式で行う借入金。または、国家が発行する債券。
国債
wikipedia
国家の領域内で対立した勢力によって起こる、政府と非政府の組織間の武力紛争。
内戦
Wikipedia
国家や諸侯などの広域政権の領域の内部に存在し、ある地方において多くの土地や財産や私兵を持ち一定の地域的支配権を持つ一族。
豪族
wikipedia
細菌やウイルス、あるいはそれらが作り出す毒素などを使用し、人や動物に対して使われる兵器。
生物兵器
wikipedia
最初期のキリスト教。
原始キリスト教
大辞林 第三版
三国同盟(独・墺・伊)と三国協商(英・仏・露)との間の帝国主義的対立や民族的対立などを背景として、ヨーロッパを中心に起こった最初の世界戦争。
第一次世界大戦
大辞林 第三版
3世紀から始まる古墳時代に「王」「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国の王を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織。
ヤマト王権(大和朝廷)
wikipedia
財貨を生み出す各種経済活動の総称。
生産
大辞林 第三版
資本主義の歴史的発展段階の一つで、独占資本と金融資本が経済を支配し、独占利潤を追求するに至ったもの。
独占資本主義
大辞林 第三版
社会全体にわたる経済活動の活発さの程度。
景気
大辞林 第三版
主義主張を貫いたり責任をとるため、自ら命を断つこと。
自決
大辞林 第三版
商品としての財貨やサービスが交換され、売買される場についての抽象的な概念。
市場(しじょう)
大辞林 第三版
商品の交換価値を表し、商品を交換する際に媒介物として用いられ、同時に価値貯蔵の手段ともなるもの。
貨幣
大辞林 第三版
新興の産業資本家を中心とする市民階級が封建制を打破して、政治的・経済的支配権を獲得し、近代資本主義社会への道を開いた社会変革。
市民革命
デジタル大辞泉
自分にとって都合の悪い現実を、事実と異なる理由で隠蔽・正当化するなど、心理的自己防衛を図ること。
合理化
wikipedia
一九世紀後半、江戸幕藩体制を崩壊させ、中央集権統一国家の建設と日本資本主義形成の起点となった政治的・社会的変革の過程。
明治維新
大辞林 第三版
19世紀前半に清へのアヘン密輸販売で巨利を得ていたイギリスと、アヘンを禁止していた清の間で1840年から2年間にわたり行われた戦争。
阿片戦争
wikipedia
15世紀半ばから17世紀半ばまで続いた、ヨーロッパ人によるアフリカ・アジア・アメリカ大陸への大規模な航海が行われた時代。
大航海時代
wikipedia
人格を否認され所有の対象として他者に隷属し使役される人間つまり奴隷が、身分ないし階級として存在する社会制度。
奴隷制
wikipedia
人類の救い主。
救世主(メシア)
大辞林 第三版
すべての取引が政府や権力による強制で行われるのではなく、望むものが自発的に取引を行う市場。
自由市場
wikipedia
生活の主体が稲作などの農業活動により形成されている民族とその文化。
農耕民族
wikipedia
生産手段の社会的共有・管理によって平等な社会を実現しようとする思想・運動。
社会主義(共産主義)
デジタル大辞泉
生産手段を私有する資本家が,生産手段をもたない労働者の労働力を商品として買い取って商品生産を行う生産様式。
資本主義
百科事典マイペディア
政治・経済・軍事などの面で、他国の犠牲において自国の利益や領土を拡大しようとする思想や政策。
帝国主義
デジタル大辞泉
政治的目的を実現するためにとられる殺人などの恐怖手段,またはそれを基礎とする立場。
テロリズム(テロ)
百科事典マイペディア
政治・道徳・宗教・哲学・芸術などにおける、歴史的、社会的立場に制約された考え方。
イデオロギー
デジタル大辞泉
政府の機関・組織に属さない人、及び、(軍人等の)戦闘員ではない人々。
民間人
wikipedia
世界恐慌後、世界再分割をめざす後進資本主義国である日・独・伊のファシズム枢軸国と、米・英・仏・ソ連・中国などの連合国との間に起こった全世界的規模の戦争。
第二次世界大戦
大辞林 第三版
世界貿易上の障壁をなくし、貿易の自由化や多角的貿易を促進するために行われた通商交渉。
ウルグアイ・ラウンド
wikipedia
世襲的に国家を代表し、統帥する最高の地位にある人。
君主
大辞林 第三版
1930年代中期以降,ファシズムの台頭と戦争の脅威を民主主義勢力の統一によって阻止しようとした各国の運動およびその組織。
人民戦線
百科事典マイペディア
1936~39年スペイン人民戦線政府に対し,国内では保守派,国外からはイタリアのファシストとナチス・ドイツが支援した武装反乱。
スペイン内乱(スペイン内戦)
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
1973年(第1次)と1979年(第2次)に始まった(ピークは1980年)、原油の供給逼迫および原油価格高騰と、それによる世界の経済混乱。
オイル・ショック
wikipedia
1980年から1988年にかけて、イラン・イスラム共和国(イラン)とイラク共和国(イラク)との間で行われた戦争。
イラン・イラク戦争
wikipedia
1857年から1859年の間にインドで起きたイギリスの植民地支配に対する民族的抵抗運動、反乱のこと。
インド大反乱(セポイの乱、第一次インド独立戦争)
wikipedia
1870~1871年、ドイツ統一をめざすプロイセンと、これを阻もうとするフランスとの間で行われた戦争。
普仏戦争
デジタル大辞泉
1870年フランスが普仏戦争(プロイセン・フランス戦争)に敗れた後,反帝政運動を進めるパリの民衆と国民軍が,ティエールらの国防政府に反抗して樹立した革命的自治政権。
パリ・コミューン
百科事典マイペディア
1880年代から第一次世界大戦前の1912年までにかけて、ヨーロッパの帝国主義列強によって激しく争われたアフリカ諸地域の支配権争奪と植民地化の過程。
アフリカ分割
wikipedia
1861年から1865年にかけて、アメリカ合衆国の北部諸州とアメリカ連合国を称した南部諸州との間で行われた内戦。
南北戦争
wikipedia
1860年代にフランスのナポレオン3世が、メキシコの自由主義革命に介入した干渉戦争。
メキシコ遠征
日本大百科全書(ニッポニカ)
1600年東洋貿易を目的に設立されたイギリスの独占的・政治的商業会社。
イギリス東インド会社
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
戦線で敵陣と直接向かい合う場所、敵と直接交戦を行う長く伸びた陣地。
前線
wikipedia
戦争状態においてもあらゆる軍事組織が遵守するべき義務を明文化した国際法。
戦時国際法(戦争法規)
wikipedia
戦争において軍隊、あるいは個々の戦闘員が敵に対する戦闘行為をやめて、その支配下にある地点・兵員・戦闘手段を敵の権力内に置く事。
降伏(投降)
wikipedia
戦争や武力紛争に際し,敵国に捕らえられ,その権力内に陥った軍事要員。
捕虜
百科事典マイペディア
太平洋戦争期に唱えられた,日本を盟主とする東アジアの広域ブロック化の構想とそれに含まれる地域。
大東亜共栄圏
世界大百科事典 第2版
他国の領域の全部または一部を自国の軍隊の支配下におくこと。
占領
世界大百科事典 第2版
他国を征服して建てた異民族の王朝。特に中国史上、遼・金・元・清の各王朝をさす。
征服王朝
大辞林 第三版
単に軍事力だけではなく,国の人口,資源,生産力のすべてを動員して戦われる戦争。
総力戦
百科事典マイペディア
弾丸を発射して相手をたおす火器。
大辞林 第三版
中国、福建省の東方に位置する大島。
台湾
大辞林 第三版
中国より南、インドより東のアジア地域。
東南アジア
wikipedia
中世・近世ヨーロッパの地誌に現れていた東方の島国、日本のこと。
ジパング
wikipedia
中世に西ヨーロッパのキリスト教、主にカトリック教会の諸国が、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍。
十字軍
Wikipedia
中世封建社会が解体したのちに現れてくる社会で、経済的には工業化が進んで資本主義を基礎とし、政治的には個人の基本的人権を承認して民主主義の体制をとるような社会。
近代社会
日本大百科全書(ニッポニカ)
中世末から近代にかけて、特に英国で、それまで開放耕地制であった土地を、領主や地主が牧羊場や農場にするため垣根などで囲い込み、私有地化したこと。
エンクロージャー(囲い込み)
デジタル大辞泉
中東と近東の総称。
中近東
wikipedia
中東のクルディスタンに住むイラン系山岳民族。
クルド人
wikipedia
直接武力をもって他国の領域に侵入しまたは他国の領域を攻撃すること,および紛争の平和的処理に関する法律上の義務に違反すること。
侵略
百科事典マイペディア
特定の地域内に居住し、共通の言語・文化などをもつ集団で、いわゆる未開・原始とされる小規模な集団。
部族
大辞林 第三版
特権を備えた名誉や称号を持ち、それ故に他の社会階級の人々と明確に区別された社会階層に属する集団。
貴族
wikipedia
毒ガスなどの毒性化学物質により、人や動植物に対して被害を与えるため使われる兵器。
化学兵器
wikipedia
ナチス・ドイツが第二次世界大戦中に国家を挙げて推進した人種差別による絶滅政策 (ホロコースト) および強制労働により、最大級の犠牲者を出した強制収容所。
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(アウシュヴィッツ強制収容所)
wikipedia
ナポレオン1世が指揮したヨーロッパ征服戦争。
ナポレオン戦争
百科事典マイペディア
ナポレオン3世が帝位に就いた1852年から、普仏戦争の敗北により消滅するまで、約20年間続いたフランスの帝政。
第二帝政
デジタル大辞泉
日本史で、応仁の乱(1467~1477)から1568年の織田信長入京頃までの混乱期。中国史で、東周の後期。一般に晋の有力貴族の韓・魏・趙三氏が晋を三分して諸侯に封ぜられた前403年から秦が中国を統一した前221年までの動乱期
戦国時代
大辞林 第三版
日本神話において、天孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が、天照大神の神勅を受けて葦原の中つ国を治めるために高天原から日向国の高千穂峰へ天降(あまくだ)ったこと。
天孫降臨
wikipedia
日本中世を通じてゲリラ戦術に駆使された身分の低い兵士。
足軽
世界大百科事典 第2版
日本に在留する韓国・朝鮮籍外国人。
在日韓国・朝鮮人
wikipedia
人間が人間である以上、人間として当然もっている基本的な権利。
基本的人権
大辞林 第三版
人間としての権利・自由を認められず、他人の所有物として取り扱われる人。
奴隷
大辞林 第三版
農業に競争力を持つ国、あるいは農業が経済に占める割合が高い国。
農業国
wikipedia
バルト海南岸に臨む、ウィスラ川下流域からネマン川下流域に至る地方。
プロイセン
大辞林 第三版
パレスチナを原住地とし、ユダヤ教を信仰する民族。
ユダヤ人
デジタル大辞泉
東アジア,南北アメリカ,オセアニアなど環太平洋諸国の経済協力・援助をベースにした経済圏をつくろうという構想。
環太平洋経済圏構想
百科事典マイペディア
人が政治的共同体、特に国家に帰属していると感じ、帰属しようと志向する感情、あるいは、人が帰属する対象として、他のものより国家を優先させるイデオロギーや運動。
ナショナリズム
知恵蔵
ひとつの都市とその周辺地域が、独立した政体や文明としてひとつとなり、まとまった形態をなす小国家。
都市国家
wikipedia
不正規武装団体の行う変則的戦闘行為,遊撃戦,転じてその組織をもいう。
ゲリラ
百科事典マイペディア
武器や防具を身につけること。戦闘の準備をすること。また、その装備。
武装
大辞林 第三版
仏陀の教えに従い、悟りと解脱を求めようとする宗教。
仏教
知恵蔵
武力は用いないが、激しく対立・抗争する国際的な緊張状態。第二次大戦後の米・ソ二大陣営の厳しい対立を表した語。
冷戦
デジタル大辞泉
平安時代中期から江戸時代末期まで存在した、武力をもって地方を支配し、公権力に仕える者。
武士
日本大百科全書(ニッポニカ)
ホイッグ党の流れをくみ、一九世紀初頭のイギリスで自由主義貴族とブルジョアを主体に結成された政党。
自由党
大辞林 第三版
封建国家や絶対主義国家の崩壊後に、市民革命によって成立した国家。
近代国家
デジタル大辞泉
封建的主従関係の下で組織された国家。
封建国家
wikipedia
保守的,反動的,排外主義的な思想や運動。
右翼
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
マルクス経済学において、労働と結合して生産物を生み出すために使われる物的要素を指す。
生産手段
wikipedia
民族が異なるとする人々の間で起こる紛争。
民族紛争
Wikipedia
民族共同体を基盤にして形成された近代国家。
民族国家
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ユーラシア大陸の東縁から日本列島へ突き出した半島部と大小3400余個の付属諸島からなる地域。
朝鮮
世界大百科事典 第2版
ヨーロッパの全部または一部の国による政治的、法的、経済的、あるいは社会的、文化的な統合の経緯。
欧州統合
wikipedia
ヨーロッパの東部地方。一般にはヨーロッパのうち,ヨーロッパロシアを除く東側の,第2次世界大戦後に社会主義体制を採用した諸国。
東ヨーロッパ(東欧)
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
領有している土地。特に、 国家の領域を構成する部分で、国家が排他的に支配する土地。
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2018-03-13 佐野眞一「ルポ下層社会」の後始末

佐野眞一「ルポ下層社会」が昔ジャーナリスティックに話題になったが、その話題になるなり方が皮相なものであり、あまり良い影響を及ぼさないものであった。しかもその割にあまり、きちんとした清算がなされていない。なので馬鹿馬鹿しいが、筆者が後始末の試みをしょうがなく行なっておく。佐野眞一「ルポ下層社会―改革に棄てられた家族を見よ」,『文藝春秋』二〇〇六年四月号→『この国の品質』(2007,ビジネス社)。

まず最初に佐野がどの程度の思慮の深さをもつ人間なのかを確かめておこう。最初にこれをやっておかないと、単なる無考えに基づく結果なのか、それとも一周深い考えに基づく結果なのかが、にわかに判断がつかないからだ。そのために丁度良いと思える箇所がある。単行本だとp323-324の次の箇所である。

リストラなどの経済的理由が全体の四分の一を占める自殺者に関していうなら、足立区はこの面でも東京二十三区で群を抜いている。その数(二〇〇三年)は百八十二名と、東京二十三区全体の年間自殺者総数千九百五十四名の約一割を占めている。足立区では二日に一人の割合で誰かが死を選んでいることになる。

そこでこの結果がどの程度驚くべきものなのかを念のため検証する。東京都統計年鑑 平成18年によると、2003年10月の足立区の人口が622522人であり、東京23区の人口は8362231人であるので、足立区の人口は東京23区全体の人口の約7.4%になる。一方、足立区の自殺者は東京23区全体の自殺者の約9.3%になる。二日に一人という箇所は不要だろう。約7.4%と約9.3%とはそれほどに大きい違いではないようだ。なので足立区が特に異常なまでに自殺者が多い区であるとは言えそうにない。もし、異常に多いと述べたいのなら統計的検定を行なうとか、自殺率が高い区が足立区に類似した区に集中していることを示すなどして、より精密な説明を行なう必要があるだろうが、もちろん佐野はそんなものは述べていない。ならば、この自殺者の状況を見て、足立区に何か驚くべきものを発見したと言って騒ぎ立てるのはおかしい。もし足立区の自殺者の絶対数が多いといって驚きたいのなら、23区全体の自殺者の絶対数はもっともっと多いことになるからもっと驚く必要があるはずだがそんなことも述べていない。要するに佐野はこのくらいの頭脳の持ち主であり、同時にその程度の頭脳の持ち主を想定したルポなのである。そのことがわかった。これで、佐野のルポを読む側の態度も決定しやすくなる。つまり深読みは不要である。

さてこの佐野の「ルポ下層社会」の問題点だが、何といっても「何のためにこのルポを公表したのかその目的が不明」ということが一番大きい問題点である。「足立区の貧困家庭の存在」を訴えているルポである。ならばその解決のために発表されたルポなのか、とまずは思うはずだ。しかしこのルポを発表することによって、その解決のために寄与するのか、その点がすこぶる疑わしいのである。たとえば一つの解決方法として、発表時の区長は「担税能力の高い人がもっと多く足立区に住むようにする」というものを述べていた。確かに、そうすれば福祉行政に必要な「財源」の問題が前進する可能性がある。ところが佐野のこのルポを公表して足立区のイメージが悪くなると、「もっと地価の高い地域に住むことのできる経済力のある人」は足立区に住む可能性がより低くなる。足立区にわざわざ住みたがる人が減り、足立区でないと住むことができない人の割合が高まるほど、足立区の財源が逼迫して、福祉行政がますます困難になるというわけだ。そのような悪循環の働く可能性はルポの中で前の共産区長が示唆していた。朝日新聞の記事がそうだったというわけだ。ところが佐野のこのルポはそれがもっと段違いにひどいのである。なので、佐野のこのルポの公表意図がまったく不明なのである。文藝春秋4月号掲載の「ルポ 下層社会」に対して足立区の見解を送付しましたという魚拓記事にも転載されているように、「足立区のイメージが損なわれ、格差社会を告発すべきところが結果的に格差を固定化する危険を招きはしないか」というような代物に佐野のルポはなっているのである。

公表目的が不明なことの一斑として、「なぜ媒体が文藝春秋誌なのかが不明」ということもある。というのも、この雑誌に公表したために、その固定読者層とのミスマッチによってより望ましくない受容のされ方をしたと言えるからだ。たとえば佐野は、前の共産区長と当時の自民区長とどちらの政策を、より支持しているのだろうか。それによって公表目的も違ってくるはずだ。そしてもし共産区長のほうを、より支持しているのであるとすれば、文藝春秋誌に発表するのは普通の場合良くない結果になるはずだ。というのも、固定読者層の多くが共産党などまったく不支持という層だからであり、したがって共産区長が行なった福祉政策・再配分政策を好意的には受け取らないだろうことが十分推定可能だからである。そして実際、この記事の読者のうち実際に区民である者に関しては、ある意味でやはり好意的には受け取らなかったと言いうる結果になったと見なすことができる。いずれにせよ、この記事の目的自体が不明瞭なのと、どのような読者層に訴求したいのかが不明瞭なのとは、連動しているのだ。

次の問題点はこうだ。なぜこのルポを「小泉政策の影響で日本全体が貧困化しつつある」というふうに述べずに「足立区に(ばかり)貧困が押し寄せている」というふうに述べたのか、あまりきちんとした根拠が無さそうに見受けられる、という点だ。佐野が「日本が全体として貧しくなった」ことに目を向けずに「足立区の貧困」にこだわる理由はおそらく足立区の就学援助率が突出していて朝日新聞などで報道され話題になったからである。しかしそれはこういうことに似ている。たとえばアフリカの途上国がいくつかあるうち、一つの国A国だけは「インフルエンザワクチン」の使用数が突出して多かったとしよう。それを知って「A国にはインフルエンザが蔓延している!大変だ!」と騒ぎ立てるようなものなのだ。むろんこの驚き方は間違っている。実はその途上国のうちA国だけがきちんとした医療機関があり、かつ、健康衛生に関しての意識の高い者が国営に携わっている国だったのだ。だから実際には調べてみればB国、C国にもインフルエンザが蔓延しており、かつ放置されている度合いがA国より高いのだ。「足立区の貧困」という「現象」の実態はおそらくそれと同様のものであり、「特に貧困なのが足立区である」という捉え方は間違っているのだ。掲載されたインタビューの中にある次の箇所のような対処が、足立区のおそらく全域で一定期間公式の形で行なわれていたと見るのが有力な見方であるだろう。

「足立区に来て一番びっくりしたのは、申し込む、申し込まないにかかわらず、就学援助の申し込み用紙が全員に回ってきたことです。千葉ではそんなことはありませんでした。

このルポではインタビューを掲載された多くの者が「就学援助があって助かっている」と大変に好意的に述べている。だから、多くの者が貧困にもかかわらず足立区の政策のおかげで大変助かっている、足立区は弱者に優しい住みやすい区だ、という方向でルポをまとめることはきわめて容易であるように思える。確かに担税能力の高い人に居住してほしい当時の自民区長は不満かもしれないが、先代の共産区長ならこの書き方ならさほど不快に思わないだろうと思う。だが佐野は絶対にそういう着地のさせ方をしない。いくら談話で区への感謝が語られても、本文全体の結論は「足立区の貧しさ、暗さ」といった話題に常に収斂するように書かれている。なぜこんな書き方を選ぶのか理由や目的がまったくわからない。わからないが、就学援助率の足立区の突出という事柄を否定的に捉えたくてたまらないのだろう、ということだけは推察できる。だがそれはせっかくのインタビューをかなり半端なものにしている。また実際に住民が貧しくても放置・無視されている自治体だってあるだろうことを想像しなさすぎである。

三つめの問題点は、佐野が取材した多くのケースは「女性の貧困」という問題であって、足立区との関係はほとんどない、ということである。というのも、これらのケースは女性に良い働き口が少ないということによって起こっているといいうる部分があり、それは足立区にのみ良い働き口が少ないという問題ではおそらく無く、全国各地に共通の問題である可能性がきわめて高いからである。この点に多少関連した話題を前共産区長はインタビューで縷々述べていたが佐野は何もコメントを付けていなかった。賛同しているということなのだろうか。だがそうだとしたら、やはり公表誌の選択を誤っているとしかいいようがないだろう。ジェンダーの問題をわざわざ文藝春秋誌で取り上げる意義は普通はあまりない。もっと適した媒体はあるのだ。

四つめの問題点は、「子供の学力」の何が社会問題なのかの軸足がまったく定まっていないことである。「学歴」の格差が社会問題であるという見方がまずありうる。この場合、学歴の違いによってたとえば良い就労や安定した収入につながったりつながらなかったりする。要するに学歴によって受ける恩恵が違いすぎることに問題があることになる。しかし佐野はその辺のことがさっぱりわかっていないため、東大卒の人間が受ける恩恵(が不当である)という話題ではなく、東大卒の人間の知性(の低劣さ)を問題にあげるだけであり、まったくそれは本題とは関係ない。東大中退の人間の知性は更に関係ない。また、学歴とはまったく関係なく、学力が低いことによってそれ自体で損害を被る可能性ももちろんあるが(例えば新聞の漢字が読めないとか)、そういった事柄に触れているわけでもない。学力の何が問題なのか軸足が定まっていないので、単に学力が低いといって騒いでいるだけであり、まったく迷惑なルポでしかない。

佐野に限らず多くの人がおそらく勘違いしている点があり、それは佐野にも当然共通している点である。それは「学力に格差がある」という問題と「学力が以前より下がっている」という問題と、「学力が絶対的に低い」という問題とは全部異なる、ということがわかっておらず混同していることだ。このルポの中で取り上げられているのは、主に「学力に地域格差がある」という問題だ。だがそれに関していえば、別にこのルポが書かれた頃の新傾向ではない。たとえば東京23区の「西側」と「東側」とで、大きく言って「西高東低」であるのは、ずっと以前からである。これはルポの中でインタビューされている人も必ずしもわかっていないので、特に注意が必要だ。あるいはわかっているのだが、よほど強いタブーなので知らないふりをしているだけだ。この点に関しては、中学受験の難関校の合格者分布によって、筆者は少しは示してきたのでこれ以上特に述べる必要はない。

地域格差に関して補足をする。佐野はこのルポのなかで次のように述べている。この2003年の調査というのは、おそらくネット上で公開されている、「学内広報」No.1277(https://www.u-tokyo.ac.jp/content/400004746.pdf)に収録された2002年の調査結果を2003年に発表したものではないかと思われる。このように出典がはっきりしない不正確な紹介の仕方も問題だし、調査対象が「自宅生」であることが全く紹介されていなかったのも問題だが、その内容はもっと問題である。

親の経済レベルと子どもの学力の関係については、東京大学学生生活委員会生活調査室が毎年行う「学生生活実態調査」がよく引き合いに出される。

この調査を二〇〇〇年以降の数字でみると、多少の上下はあるものの、東大に在学中の学生のうち、総体的には年収七百五十万円以上の高額所得者も、例年三割を占めている。

二〇〇三年の調査には、東大在学生の都内居住地の分布も棒グラフで示されている。それによると、足立・葛飾・荒川の東部三区が一・五パーセントなのに対し、世田谷・渋谷・目黒の西部三区は七・四パーセントと、約五倍にのぼっている。

この紹介の仕方にはいろいろと不満がある。上掲の推定された出典に掲載されたグラフは以下にスクリーンショットを転載する次のようなものである。このグラフをみて佐野は上掲引用のように述べたのだ。見る場所が違うだろうと言いたい。普通このグラフを見て驚く人が多いポイントは、「神奈川県在住者が千葉県と埼玉県を合計した分よりなお多い」のはずである。周知のように東京大学のキャンパスは東京都の文京区・目黒区とあとは千葉県の柏くらいのものである。それですら神奈川県の在住者がこんなにいるのである。だったら、神奈川県にキャンパスを2つ擁する慶應義塾大学や、横浜市緑区にキャンパスを一つもつ東工大、国立市にキャンパスをもつ一橋大、そして他にも明治大学、中央大学、青山学院大学などなどを考慮していったら、いったい神奈川県の有名大学在学者数はどれほどになるだろうか、ということなのである。そして「東京都の23区外」というのは要するに「神奈川県の隣接エリア」のことにほかならないのである。どうやら佐野は、調査者が「ここを見て下さい」と指示した箇所しか見ることのできない人のようだ。だが調査者が「ここを見て下さい」とばかりに提示する「23区の内訳」ばかり異常に細かいこの集計の仕方の発想自体が、もう全く時代遅れのものであり、地域格差を知るためにはあまりに不足なものでしかない。そのような設定に従って見えるものしか見ないのでは、問題の核心は見えてこない。

東大学生生活実態調査2002居住地結果

最後に少し振り返りたい。ここまで述べてきた事柄のなかで二つの事柄が並行的である。一つは「地域の貧困を公表すると地域のイメージが下がりますます貧困化が促進しかねない(裕福な人がいなくなると財源に困るため)」。もう一つは「地域の学力をきちんと調査しないと、またある程度その結果を(隠匿せずに)オープンにしないと、学力の地域格差が固定したまま放置されかねない」。この二つを整合的に理解するためにはどのようにすれば良いだろうか。足立区の学力が23区で最低であったのは、小泉改革のためなどでは無論なく、長年放置されてきたことの結果である。ただ、学力というのは子供の学力のことであり、つまりその居住地域を選ぶことのできない者の学力である。のみならず、その地域の学力が高いか低いかを子供が知ったからといって、結果が大きく変わるわけでもない。学力が低い地域の子供は「俺たちの学校馬鹿ばっかり」と認識しているから学力が低いというわけでは(あまり)ない。別に特にそう思わなくても学力はそんなには変わらないのだ。ようするに「地域の子供の学力の高さ」と「地域のイメージ」とはある程度独立である。独立でないのは「教える側や行政側の対応」と「対応相手の地域イメージ」のほうである。たとえば行政の担当者が「足立区の学力が23区で最低と聞いて驚きました」と述べるとき、まさにそのように驚くくらいにその状態を認識していなかったことが原因でそのような結果になった、と見なすことができるわけだ。一方、それに対して、「地域住民の経済力や所得」と「地域のイメージ」とは、子供の学力と子供のもつ地域イメージほどには独立ではない。この場合、世帯主がそのまま地域に対してイメージをもつ主体でもあり、嫌なら別の地域に移動することが可能であることがある。つまり経済力があれば地域を変わることができるため、少なくとも「地域のイメージ」が極端に良いとか悪いという場合は、住民の所得と相関する。それに地価も地域イメージの良しあしとある程度は相関するかもしれない。つまり地域イメージが特に良いと地価も高くなり、経済力のない人は土地を購入できなくなるし、反対に地域イメージが特に悪くなると地価も安くなり、経済力のない人ばかりが住むようになるかもしれないわけだ。そういうわけで、地域イメージと貧困とはまったく独立に扱うことができない。「あの地域は貧困な地域だ」と評判になれば、ますます貧困が加速し、福祉政策の財源も逼迫する、という悪循環が起こりうるのである。学力と経済との違いはそこにある。この点を指摘しておく。

そして佐野がまったく見なかったであろう本当の格差というのは、自然災害リスクの地域格差である。もちろん住民がおしなべて貧しい傾向にある地域は概して自然災害リスクも低くないのだ。特に地盤が弱く地震への耐性に乏しい。すべてはその自然的な格差の上に、もろもろの格差が上から様々な意匠として被さっているのだ。これを真剣に考えると格差問題はいっそう深刻になると思う。ようするに「貧しい人の住む地域は千年前から決まっていて固定的である」という話に近くなるのだ。しかしこれを直視できない者に未来の社会設計はできないだろう。この点に関しても努力している自治体は無論あり、自然災害に弱くないという地域イメージを打ち出そうとしている。いつも述べている内容だがそのことを最後に付記する。


2018-03-09 80年代難関中学ごとの「優秀異性存在校」出身率

「男子も女子も優秀である子が安定的に輩出される公立小学校」の出身者比率を、1980年代の各難関中学の合格者ごとに算出してみた。開成が他より低く筑駒が他より高い、という傾向が析出された、と見たい。以下、詳細。

資料は、1982・83・85・86・87年の四谷大塚進学教室の合格者名簿である。この5ヶ年で「男子4名、女子4名以上」合格している公立小学校を列挙してみた。男子は「開成、麻布、武蔵、筑駒、栄光」の合格者数であり、女子は「桜蔭、女子学院、雙葉、フェリス」の合格者数であり、同一人物は何校合格していても1校分として算出。そのように複数校合格者の重複分を除外したうえで、各公立小学校ごとの合計数を算出した。又あきらかに小学校と異なる行政地区に居住している者は「越境」と見なして除外した。このようにして、基準となる公立小学校を84校選定し、今度は複数校合格者を除外しないで、各校ごとにそれらの小学校出身者の占有率を算出した。ただし、栄光とフェリスは判明合格者数が少ないし、その理由もある程度はっきりしているので、占有率の計算には加えなかった。理由というのは、四谷大塚の教室が東京都内にばかりこの時期あったのに対し、これらの2校は神奈川県にあり、そのため神奈川県を本拠地とする日能研などの塾に合格者の大半が占められているため、である。

このようにして算出すると、「同じ小学校の同じ学区内に、自分と同レベル学力の異性が存在していた可能性の特に高い生徒」の数を割り出すことができる。「小学校のとき自分と同レベルの優秀な異性がいた」経験の持ち主が、同レベルの難関校のなかでも違いがある、という結果を見ることができる。結果として、東京・神奈川の都心部に居住している者に受験資格を限定している筑駒が比較的高く、居住地が首都圏の全般にいちばんまんべんなく分散してしまう開成がこの割合が比較的低い、という結果が得られた。あとの学校はそれほどの大差はない、と見ても良いのではないだろうか。いずれにせよ、そのことが何かの結果に帰結しているかどうかは、これだけでは何とも言えない。

たとえば「スクールカラー→男女均等合格地域出身者率」という因果関係を想定する者もいるだろう。しかし「男女均等合格地域出身者率→スクールカラー」という因果関係もまた想定しうるものである。因果関係の想定に関してはなるべく断定しないで慎重に見たほうが安全だと思う。

今回割り出した公立校を「男女均等合格校」と呼んでみたり「異性大量合格校」「優秀異性存在校」などと呼んでみたりした。「男女の平等」が学力上体現されている地域を割出すためには、「男女差が小さい」という基準も設定可能だが、多くの場合、「絶対数が少ない」学校は「男女差が小さい」という結果になりやすく、要するに偶然男女差が少ないだけ、という場合が多い。なので、今回は、ともかく男子も女子も絶対数が少なくないこと、に基準を置いた。男女差は大きい学校もあるが、それでも少ない方の性別でも絶対数が一定程度ある、ということに基準を置いたのである。この場合なら、仮に男女差が大きくてもなお「優秀な異性の存在」自体は経験されやすい環境であると言い切れるからである。

各校の「異性大量合格校(=男女均等合格校)からの合格数占有率」
項目 麻布合格者 開成合格者 武蔵合格者 筑駒合格者 桜蔭合格者 女子学院合格者 雙葉合格者
集計合格者総数 (私国立小から含む) 982名 915名 548名 488名 1086名 1100名 413名
「異性大量合格公立校」 からの合格者数 226名 138名 121名 129名 217名 219名 86名
「異性大量合格公立校」 からの合格者占有率 23.01% 15.08% 22.08% 26.43% 19.98% 19.90% 20.82%

今回選ばれた84校の所属する管轄署は以下のとおりである。生徒の居住地域と小学校の所属する管轄署が完全に同じとは限らないので注意。

  • 千葉柏署内公立小学校:3校
  • 千葉市川署内公立小学校:5校
  • 東京千代田区麹町署内公立小学校:1校
  • 東京港区麻布署内公立小学校:1校
  • 東京港区赤坂署内公立小学校:1校
  • 東京港区高輪署内公立小学校;1校
  • 東京品川区品川署内公立小学校:1校
  • 東京品川区大崎署内公立小学校:1校
  • 東京大田区大森署内公立小学校:1校
  • 東京大田区池上署内公立小学校:1校
  • 東京大田区田園調布署内公立小学校:4校
  • 東京目黒区目黒署内公立小学校:4校
  • 東京目黒区碑文谷署内公立小学校:1校
  • 東京渋谷区渋谷署内公立小学校:1校
  • 東京渋谷区代々木署内公立小学校:2校
  • 東京世田谷区世田谷署内公立小学校:2校
  • 東京世田谷区玉川署内公立小学校:3校
  • 東京世田谷区北沢署内公立小学校:3校
  • 東京世田谷区成城署内公立小学校:4校
  • 東京新宿区新宿署内公立小学校:1校
  • 東京新宿区牛込署内公立小学校:1校
  • 東京新宿区戸塚署内公立小学校:1校
  • 東京中野区中野署内公立小学校:2校
  • 東京中野区野方署内公立小学校:2校
  • 東京杉並区高井戸署内公立小学校:3校
  • 東京杉並区杉並署内公立小学校:4校
  • 東京杉並区荻窪署内公立小学校:1校
  • 東京豊島区目白署内公立小学校:1校
  • 東京文京区大塚署内公立小学校:1校
  • 東京文京区本富士署内公立小学校:1校
  • 東京板橋区志村署内公立小学校:1校
  • 東京練馬区練馬署内公立小学校:2校
  • 東京練馬区石神井署内公立小学校:2校
  • 東京武蔵野署内公立小学校:1校
  • 東京三鷹署内公立小学校:2校
  • 東京小金井署内公立小学校:1校
  • 東京町田署内公立小学校:2校
  • 神奈川川崎市宮前署内公立小学校:2校
  • 神奈川川崎市麻生署内公立小学校:1校
  • 神奈川横浜市青葉署内公立小学校:5校
  • 神奈川横浜市港北署内公立小学校:2校
  • 神奈川横浜市神奈川署内公立小学校:1校
  • 神奈川横浜市緑署内公立小学校:1校
  • 神奈川横浜市旭署内公立小学校:1校
  • 神奈川横浜市栄署内公立小学校:1校

2018-02-28 開成高校生殺人事件の概括

この事件は、「受験勉強の病理」ではなく「階層移動の失敗」であること

1977年の「開成高校生殺人事件」は、1966年から1975年にかけて日本の「大学短大進学率」が15%強→40%弱まで急上昇した直後の事件である。すなわち、「大卒・短大卒でない者が自分の子供を大学・短大に進学させた」と、そういう者の割合が急増していた末期の事件である。つまりこの時期、日本国の学歴構造に巨大な変化があったというわけだ。この事件はその「急増した」層の「失敗」例として位置づけることができる。すなわち、開成高校生殺人事件の少年の父親は中卒(小卒という話もある)、母親は(成績上位とはいえ)高卒であり、一方、少年は小学校は(附属中学校に上がれないシステムの)私立小学校であり、中学校から開成であった。つまり、両親は少年の歩んだコースに関してまったく未経験・未知であり、何かしてあげられることはほとんどない。そういう状況であった。言うなれば何も知らない子供がエベレスト登山に「行ってくるよ」と無装備で出かけ、やはり何も知らない親が喜んで「行っておいで」と送り出したら子供が遭難死した、とでもいうような事件であった。

したがって当時そうされたように、この事件を単なる受験競争(や学校化)の病理と見るのはあまり筋がよろしくない。なぜなら、受験競争といっても「親が大卒」である場合と、「親が非大卒」である場合とで、その様相はまったく異なってくるのであり、この事件は明瞭に後者であったからだ。この事件の問題性は、この少年の両親が、自分の子供の先にどのようなレールを敷いてしまったのかの認識がまったくもちえない者だったことにこそある。

何もわからない小学生に中学受験を決意させてしまった環境がまずあった

たとえば、この少年の両親は、「商売人」から自分の子供を守る能力が無かった、と、現在の視点からなら言える。ここで言う「商売人」というのは、たとえば少年の通った私立小学校の担任であり、あるいは少年の通った進学教室の関係者である。彼らは言うまでもなく、それを職業とするものであり、この少年が開成中学に合格することで「実績」になるような立場にある。小学校の担任が自分の担当児童を開成合格させることが「実績」になるというのは、公立小学校の場合だといささか奇異な話であるが、もし私立でありしかも中学校に上がることができないシステムであるのなら「実績」になる可能性は充分ある。また反対に、担当児童が中学受験をせずに公立中学に進学した場合、「マイナスの実績」になる可能性すらある。だから、この少年が「自分の意志」で開成中学を志望したという話を聞いたとき、保護者によっては「その“自分の意志”とやらは商売人によって話を吹き込まれた事の影響なのではないだろうか」と疑うだろう。だがこの両親にはそのような世間知や才覚はまるで無かった。むしろ反対に、そのような「進学させたい商売人と進学させたい顧客」との共犯的関係からなる「世間」から自分が疎外されることを怖れ、あたかも自分もまたそのような「世間」の住人であるかのように切望した。その結果が「自分の子供には世間並、99%の普通の人の世間がやっているような事しかさせていない」という趣旨の、裁判での証言であった。「私立小学校と進学教室とその顧客」から成る「世間」に所属したい無自覚的な願望のあまり、その「世間」こそが標準的な世間であると思い込み、そのことによって「商売人」から自分の子供を守ることができなく、またそもそもそれだけの才覚の無い両親の姿が、現在の特権的な視点からなら浮かび上がってくるはずである。

現在の視点からこの事件の記録を振り返った時非常に奇異に感じることがいくつかあるが、その最大のものはこうだ。「少年はクラスのほとんどが中学受験をするという私立小学校に通っていた。小学校入学前には少年の学力などまったく未知だったはずだ、なのに、なぜこの小学校に入学させたのか、というふうに、そのことを問題視する声が全く見当たらない」これである。この私立小学校は私立女子中学校の附属であり、男子児童は中学にエスカレーター式に進学することはできない。したがって、外部の中学に進学することになるわけだが、そのほとんどは私立国立中学に進学する、というわけだ。学芸大附属中学やお茶の水女子大附属中学にも見られるこの種のいびつなシステムを何と呼ぶのかわからないが、ともかくこの少年は小学校入学とともに中学受験生になることが半ば自動的に決定されてしまった少年なのである。そして少年の両親にその自覚が無い。ところがそのことが当時の記録ではまったく注目されていない。そのことが現在から見た時大変奇異なのである。

中学受験をすることを強いられたといっても良い少年の状況に注目が集まらなかったのは、当時はまだ中学受験ということの位置づけ自体がはっきりしなかったからである。平たく言えば「中学受験をするということ自体があまり普通ではない」というふうには受け取られなかったわけである。その理由として、日本社会における「標準的なエリートコース」にこの事件の少し前に変動があったことがある。事件の10年前、つまり少年が開成中学に入学する5年ほど前に、学校群制度が導入されている。つまり事後的に見れば「東京大学合格への最短距離が都立日比谷高校であった」時代がその時終焉を迎えた。実際、少年の8学年上である四方田犬彦の『ハイスクール1968』には「これからは中学受験の時代よ」と意気軒高な教育ママたちが登場する。そのような教育ママたちは、自分の息子を「教駒」に入学させてご満悦であった。しかし、情報に目ざといそういう教育ママと、この少年の両親は全く無縁の世界の住人であったのだ。開成高生であるこの少年の両親は学校群制度といった語彙もおそらく知らなかったに違いない。そもそもこの両親は開成学園のことも当初知らなくて、小学校の担任から合格確実であると勧められて初めて知ったほどであるらしいほどなのである。いずれにせよ、「東大進学に有利なコース」の主戦場が高校受験から中学受験に移行したこと自体が、一部の先端的な層以外にもようやく周知されてきたばかりの頃であり、その移行の「帰結」などほとんどの者には想定外のことであった。たとえば、世間の事がまだ何もわからない小学生が「商売人」に吹き込まれてその気になって自ら学力競争に飛び込みやすくなる、といった「帰結」など想定もされていなかっただろう。この事件の「主要登場人物」にとってもまたそうであったのだ。

それは「世間」の側もそうであり、この事件で異常だと見なされたのが「中学受験のために塾に通わせること」のほうであり、「そもそも中学受験をすること」のほうでなかった、ことからも裏付けられる。そのことが「世間」の代表である検察官の質問に現われている。この検察官は「小学校でトップであるにもかかわらず、塾に通わせること」のほうを異常だと思っており、「中学受験をさせること」や「そもそも学内での順位が生徒に通知されるような小学校などに子供を通わせたこと」のほうを奇異に思っていない。そのことに、この事件を受け取る「世間」の側の認識のほうの「遅れ」が、現在に視点からは見い出しうる。簡単に言ってしまえば、当時は中学受験など学校の勉強だけで充分である、と思われていたのであり、だから検察官に質問に対して少年の母親は一から説明しなければならなかったわけである(学校で習っていないような高度な出題がある等)。このズレは現在この事件の記録を振り返る者にも充分認識されているとは言えないだろう。留意されたい。なおこの少年が通塾していたのは週に一度の「テスト教室」であり、「いわゆる塾」ではない。念のためにこれも付記しておく。この「テスト教室」に関しては、インターネットでほぼ見かけないので、田原総一朗氏の次のコメントを引用しておく。中学受験ということの今一つの「帰結」が予示されている。『激烈なる漂流者―翔んだ男達の軌跡 ヒューマン・ドキュメント』(1979,PHP研究所)

事件当時の新聞や雑誌を見ると、たとえば、殺された息子は、小学校のときに、四谷大塚進学教室に通っていたそうだ。

四谷大塚進学教室といえば、私が住んでいた地域では、有名中学を狙うための、最高の進学教室であり、近所の親たちは、四谷大塚進学教室に入れるために、二人も三人も家庭教師をつけて子供の尻をたたいていた。

四谷大塚進学教室に入るためには、難しいテストがあり、そのテストに合格した子供の親たちは、まるで開成や麻布に入学したかのように誇らしげであった。

この事件以降の時代、ある一時期において「四谷大塚進学教室に合格するための塾」や「四谷大塚進学教室のテストでいい成績をとるための塾」が都心部に氾濫していたのは事実である。その後四谷大塚の競合塾が増え、また四谷大塚のような「予習型」が子供向きではないと見なされるにつれて、それらの氾濫は下火になっていった、と現在ならまとめることもできるであろう。いずれにせよ、こういった話が不思議なくらい母親から飛び出して来ないのがこの事件の特徴である。

酒を飲めない者が「大衆酒場」を経営していた、という根本

この事件を社会的・時代的背景をあまり考慮せずに、虚心坦懐に眺めると、「要は、酒を飲めない者が飲み屋を経営していたという事に尽きる」と言いうる側面もまた、ある。この少年の父親は、酒を飲めないあるいは飲まないにもかかわらず、小料理などを提供する酒場を開いていた。つまり自分の提供するサービスの品質を自分自身で判断できにくい者だったわけだ。この事件を物語として見た場合は、そこに問題が集約され象徴されているように思えてもくる。

実際、この両親が少年の経験してきた環境を、自ら追体験しているという証言が見当たらない。たとえば開成中学や進学教室の出題を自らも見て確かめているという証言があまり無い。確かに「学校の勉強だけでは進学教室や開成の出題に太刀打ちできない」といった趣旨の証言を裁判で母親が行なってはいるが、これだけだと、誰かの受け売りをそのまま語っているだけという可能性が高い。或いは、少年が開成中学に進学後の時期でも、開成の教材やテストを検討したり、開成の「運動会」などの学校行事を参観してみたり、あるいは少年が愛読していたらしいいくつかの書籍を両親もまた読んでみるといった行為を行なっているという証言や形跡も見当たらない。あるいは、母親が「最低でも大学には入ってほしい」と望んでいたわりには、東京大学をはじめとする大学に関して何か調査をした形跡も無ければ、どのような学部を志望するといった話題もまったく語られなかった。つまり言ってみれば、少年の両親の態度と、本多勝一『子供たちの復讐』の中で朝日新聞記者らによって語られている「開成の教師」の態度との間にはそう大きな違いが感じられないわけだ。どちらも(あまり感心しない意味あいで)「大人扱い」であり、「勉強の結果(成績や順位)」に関しての関心しかなく、少年の「勉強や読書の内容」や「内面」や「人生」に対する関心がうかがえないのである。この両親は結局少年が小学生のときは教育産業の関係者にまかせきりであり、その後事件が起こると今度は精神科医らに頼りきりであり、彼らに見捨てられると何の方途も採ることができなかった。

ついでの形で言えば、両親のこの傍観者的な態度は本多勝一氏にまで部分的には見られるものでもあった。氏が口を極めて大学受験や学歴社会を批判するとき、たとえばそこで槍玉に挙げられている「試験」の在り方が「あの東大入試」の事を語っているようにはどうしても見えないわけだ。氏は東大入試の実物も何も見たことがないのではないか、にもかかわらずその状態で学歴社会や学力試験に一元化された価値観を批判しているに過ぎないのではないか、と思わせるに充分なのだ。氏が学力試験を「音楽の実技のテストではなく、作曲家や作品名を暗記しているかどうかを試す試験」に類比的なものとして語るとき、それが「あの東大入試」について語っていると感じることは、東大入試の実物を見たことがある者にとっては難しい。

さて、一段落前の両親の傍観者的な態度と当然関連している別の重要な論点を述べる。両親のほうから「開成高校を休学/退学してみたらどうか」といったタイプの提案をした形跡は全くない(高二の担任が少年を担当してすぐに思いついたくらいにすぐ思いつくだろう事柄である)。つまりこういうことが考えられる。そもそも開成学園へは少年の方から「自発的に」進学したいと言ったのであった。したがって少年のほうから「休学/退学したい」という訴えは切り出しにくいだろうことも想像がつこうというものだ。しかし、この両親は、そのような切り出しにくさに関して考慮した形跡や証言が特に見当たらない。つまり、「辞めたい」と言い出せなくて少年が苦しんでいたという可能性を考慮してみた形跡がない。

ついでに開成学園の授業に関して、やや偏ってはいるが次のような指摘がある。たとえばデータハウス『東大理3の92人―天才たちのメッセージ』(1986)に(かなり編集されて)掲載された体験談のなかに、開成高校から現役で東大理3に合格した青年のものが掲載されている。それによると「開成の授業は難し過ぎて誰も重視していない。クラスに数人しかいない、授業についていけるような者だったら誰だって理3に入れるだろう、そんな学校である」という趣旨のことを述べており、またその青年のことを友人は「○○君が授業中心だったのは1年生のときだけ、2・3年は予備校男」と評していた。この内容と併せて、本多『子供たちの復讐』の朝日記者座談会で「開成でも1番から10番までは苦もなく東大に入れるが、10番から100番というのはやっぱりそういうわけにはいかない。東大に入るためにかなり努力しないといけない」という主旨のコメントとを考慮に入れて、これらを合成してみると次のような当時の開成の授業像が浮かび上がってくる。すなわち「開成の授業は上位10人の生徒のレベルに合わせて行なわれており、それこそが“開成の強さ”の秘訣である。したがって、時代が経つにつれて開成の授業を重視せずに、塾や予備校といった“生徒のレベルに合ったツール”で学習することを重視する者が増えていくようになった」、これである。「授業が難し過ぎるから重視しない」という点はその内実はさまざまだろうが、開成以外の名門校にも充分通用しそうな授業観であり学習論であると思える。

話を両親の態度の話題に戻す。次の点もまた両親の傍観者的態度の帰結である。すなわち、少年が「自分の鼻が低いので整形手術をしたい」と訴えるときに、この両親は、当然考えてよい可能性というものを考えた形跡が無いのだ。もしかすると、少年のプライバシーに属する事柄だと本多氏が判断して意図的に削除したのかもしれない。あるいは両親が新聞記者には話すことはできないと判断して話さなかったのかもしれない。しかし、インターネットで調べても、この両親がその「当然考えてよい可能性」を考慮したという話題は見当たらなかった。この両親は自分の息子がそれなりの年頃であり、その年頃に見合った感情をもつ可能性について全く考慮の外であった。そのくらいには少年の人生に対して傍観者的であったと言える。実際、小学生から高校生までの期間に少年には友達らしい友達は居なかったようにしか記録からは思えないが、両親はその点を特に心配して、いつもやるように「誰か外部の専門家」に相談した形跡が特に無い。精神科医が相当無責任に「このままでは(自殺するのでなければ)犯罪者になる」と言っていたのは、この「友達がいない」点を指しての指摘であると解釈しても良いのではないかとも思える。いずれにせよ少年の「俺の夏休みを返せ!青春を返せ!」という叫びはこの領域の問題を訴求していたと見るのがまずは常識的な判断であろう。「青春」は文字通り受け取るべき単語だったように筆者には思える。

両親の少年に対する態度には、ここまで述べたように「少年の体験を追体験してみる」という試行の形跡が見られない。そしてそのことが父親が「自分が飲めない飲み物を客に提供するという商売をしている」という点に、象徴的に表れているように思えるのである。この父親は、「客の立場」を追体験していないし、おそらくし得ない。自分でその品質に責任をもつことができにくいサービスを客に提供していたこの父親が母親ともども、自分の息子に対してもまた、自分で品質を判断することもできず責任をとることのできないような、人生のコースを与えてしまっていたのである。

少年が文学作品や哲学書を愛読していたのは単なる「一発逆転」のツールとしてである

「開成高校生殺人事件」の少年は、文学や哲学の本を読むようになってから成績が落ちた、と、母親は証言している。私見では、むしろ反対に、成績が落ちそうだったからこそそれらを読むようになったというのが真相に近いと筆者は思うが、それはともかくとして、この点があるために現代の視点から見ても尚、この事件が関心や共感を抱かれると言える。すなわち中高段階の教科学習にはいろいろと重要なものが欠けており、そのことを訴求したい側には大変有利なエピソードであるわけだ。だが、この点はあまり過大視しない方が良く、またむしろ少し別の受け取り方をした方が良いと思う。そのことを以下述べる。

本多勝一『子供たちの復讐』のなかで朝日新聞の記者の座談会で、私立の麻布高校や武蔵高校には親の資産や家柄だけで食っていける層が相当いる、だから受験勉強で落ちこぼれてもそのダメージが少ない、という事柄が述べられている。それに比較すると開成高校は親に余裕のない層、親の所得が劣る層が比較的多い、というわけだ。確かにこの三校で比べた場合そういう話になるのかもしれないし、この見解は実質的には正鵠を射ていると筆者も思う(参考:80年代「男子御三家」合格者の居住地傾向概観資料(PDFファイル・アドレスや内容は今後変更がありうる))。だが、ここには、記者たちも依拠しているだろうマルクス主義の落とし穴がある。それは経済構造がすべての社会現象の根本にある、という点だ。もし、これらの三校を「経済構造」ではない点で比較した場合どうなのか。(なお、「家柄」というのがもし「皇室との距離関係」によって決まって来るものである場合、開成のほうが「家柄が高い」家庭の生徒が少ないとは断定できない。皇室に対して批判的であるような学校文化は麻布高校あたりのほうがずっと発達しており、また小学生のときに左翼嫌いであった原武史氏が左翼から逃れるための方策として開成を志望したのだから、「皇室と親和的である」家系の者はむしろ開成が多いはずだと見たほうが良い)

「経済構造」ではなく、それと関連はしているだろうが別の尺度として「学歴・職業威信」という話を持ち出してみる。現在の我々はすでに、原武史『滝山コミューン一九七四』という書を手にしており、三島由紀夫の息子が例の少年の開成学園での二学年下に在籍していたはずであることを知っている。ということは、「東大法学部を卒業して大蔵省に入省」することができた親をもつ子供が在籍していた、というわけだ。この平岡少年は開成学園における「例外」なのだろうか、それとも「典型」なのだろうか、あるいは「頂点」なのだろうか、という話になるわけだ。ただ筆者による独自研究では「開成中学合格者には大規模な公務員住宅のある学区からの合格者が抜きんでて多い」という知見を得ており、平岡少年が開成における「例外」であることはまずない、と言ってよいのではないかと思う。むしろ一学年に十人くらいなら「高級官僚の息子」が在学しているくらいなのが開成という高校なのではないかと言ってよいほどなのである。ただ「高級官僚」では「親の家柄や資産だけで食っていける階層」には当たらないであろう。その意味ではいくら官僚の子供が多くても「親の家柄や資産だけで食っていける層が多い」麻布や武蔵には劣るだろう、とは言える。だが、逆に言えばこれらの学校の「経済構造上」の比較とはこんなものでしかない。「一般人」には無縁の比較なのだ。

「学歴・職業威信」という点でなら、次のように考えたほうがよほど実情に近いと筆者は思う。超難関高校の場合に限り、「出口と入口とはだいたい同じ理論」が成立する、すなわち「東大に卒業生が二百人合格する学校には、東大卒の親をもつ生徒が二百人いる」と、これである。「入口」から「東大卒の親をもつ子供」が二百人入学してきた場合、「出口」からは「東大に合格する生徒」が二百人輩出される、とこういうイメージである。別に東大卒の親をもつ者が東大に合格するとは限らない、一橋大や東工大や早慶に甘んじるかもしれない。しかし、全体としてみれば「卒業生の親(主に父親)の合格実績」≒「卒業生の合格実績」と見てよい、というわけだ。なぜなら反対に一橋や東工大や早慶卒の親をもつものがその分東大に合格するからだ。ここで注意が必要だ。この時代は「親が非大卒であるにもかかわらず子供は大卒」という者が急増していた時代なので、この理論はほとんどの高校には当てはまらない。だが例外として「頂点も多数派も東大」である高校・そういう時代になら当てはまる、なぜなら「東大より上」が(ほとんど)ないからである。「いちばん上」は急増できないのであり、「親の代」から決定している「指定席」が事実上存在するも同然なのである。

「親の学歴が子供の学歴とある程度相関する」あるいは「親の学齢時の学力や順位と子供の学齢時の学力や順位とはある程度相関する」という命題は、現在でもさほど自明のものでもない。またそのメカニズムも明らかであるとは全く言えない。だが少なくとも「大学受験」を経験し、「大学入学から卒業まで」を経験している親のほうが、それが全く欠落している親よりは、子供への的確な対応ができる確率は高い。何であれ自分が体験している方が、していないよりは的確な対応ができやすいのだ。ただ、高学歴の親は同時にまたしばしば多忙な社会人でもある。高学歴であればあるほど子供を高学歴にするノウハウに通じているが、一方では、高学歴であるとしばしば多忙になり子育てにあまりかまけていられなくなる、という因果関係があるわけだ。そのため、「親の学力」と「子供の学力」との相関は「ある程度」といった具合にやや薄められたものにはなる。また「遺伝」や「家庭の文化資本」が影響するとしてそれがどの程度のものなのかは、現在全くはっきりしていない。

だが次のことは言える。開成高校だろうが麻布高校だろうが言えると思うが、「親の学歴(から推定できる学力)が高いほうが、子供の学力が高くなる可能性が高い」という命題を、この種の高偏差値学校に在学していると日々体感する、ということである。その体感のしかたは「実際以上」のものであろう。というのも、「特に目立つケース」などが偏って噂になりやすいからである。こういった学校には必ずと言ってよいほど「著名人」の子供がおり、また「誰々の親は東大卒である」といったタイプの流言も流れやすい。また「誰々の親は○○に勤務している(又は職業が大学教授や医者や○○社の社長である)」といった話も年中耳に入って来やすい。これらの話に登場する大学名や勤務先よりも「ワンランク下」くらいの者ならかえって奮起できるし、しばしば実際に奮起するものだ。だが、「何段階も下」の出自の者がそれができるためには、相当の「上げ底」や「鎧」が必要であろう。苅谷剛彦氏が述べたように、日本の高度成長期に見られたのは「親が高卒だが子供が大卒」といった「ワンランクの上昇」であり、たとえば「親が高卒だが子供が東大卒」といった「何段階もの上昇」ではなかった。この少年の父親は裁判で「大衆酒場」を経営していた、と自身は述べているが、これがどこかで「レストラン経営」という話にすり替わっていた。つまり、言わば微妙に粉飾されていた。それを聞いた少年が「親父の店はレストランじゃない!」と激昂したという話は、この事件について語られるときしばしば言及される。この少年は開成での「階層の再生産」に言わば押しつぶされそうになっていたと見ることができるわけだ。そこで少年が縋った「上げ底」や「鎧」こそが文学作品であり哲学書であった、と見ることはまったく不自然ではない。むしろ「よくある手口」ですらある。

「親父の店はレストランじゃない!」という少年の叫びの「標的」が父親のほうなのか、それともたとえば「母親が見栄をはってそのように申告した」と判断したうえで標的が母親だったのか、それはわからない。つまり、職業上の階層そのものへの劣等感だったのか、それともそういった階層を気にすることのほうへの劣等感や侮蔑だったのか、そこまではわからない。ともかく、大学受験にせよ開成にせよ、あるいは父親の職業が酒場なのかレストランなのかにせよ、そういった各種の問題の一切合切を、一気にリセットし、「すべては世俗的であり、くだらない俗物どもの生態に過ぎない」とでも言ったような「高所高見」に立つことを可能にしたのが、文学作品であり哲学であった、と筆者は見たい。少年は文学・哲学書によって「一発逆転」をはかったのであった。それが少年に可能な唯一の「上げ底」「鎧」であった。

文学や哲学に耽溺することは、通常は、むしろ反対に「高偏差値の生徒」つまり「高偏差値高校・大学でのトップクラスの生徒」にとっての煙幕的なツールとして用いられてきた。高田理惠子『グロテスクな教養』(2005,筑摩書房)で縷々述べられているように、高学歴のエリートほど「ぼくはたんなる受験秀才ではない!」と言わんばかりに「受験勉強以外の何か」を誇示するものである。また、高偏差値高校や大学でもまたそういった風景が展開される。たとえば「筑駒」の文化祭は東大受験の半年前に高校三年生主宰で行なわれる。実際にはもちろん「東大生なのに肉体労働アルバイト」でも「東大生なのにアイドルおたく」でも「東大生なのにお笑い芸人」でも「東大生なのに早押しクイズに強い」など何でもいいのだ。要は受験勉強でなければ良く、「たんなる受験秀才ではない」ことの証明は何であっても良い。その一つのツールに「東大受験生なのに文学や哲学に耽溺」というのもまたある、というわけだ(ただし「東大生」になってからだと文学・哲学はかなり「ダサい」。文学に耽溺したり文学部に進学するのは都心ではなく地方出身者と昔から相場は決まっており、もしやるなら「ふつうの文学部生の読むようなものをダサいと蔑視できるような文学・哲学」でないとダメだろう。我々はすでに浅田彰氏の著書がそのためのツールとして使われてきた歴史を知っている)。いずれにせよ、ここでの問題は「受験勉強と文学・哲学との乖離」ということにあることがわかる。

「受験勉強と文学・哲学との乖離」の背景をなしている事情

ここまでの筆者の書き方から想像がつくように、筆者は次のように言いたいのである。「もし大学受験の主要教科に文学や哲学があり、そこで課されるものが高度な論述の出題であるなら、少年が文学・哲学に耽溺することはなかった」、これである。実際この少年の十一学年下からは、東大の文科3類(後期)はその方向に少しは適合した出題を課するようになった。なので、この時点からは「受験勉強を見下したり、または、受験秀才であることを正当化するためにあえて文学・哲学に耽溺する」という高校生の戦略は、存続することが少し難しくなったと言えるかもしれない。文学や哲学に耽溺しても、それは「後期文3対策」と受け取られてしまうからだ(同様にその時期に高校生が社会科学に耽溺してもそれは「後期文1対策」と受け取られかねないだろう)。他大学の小論文入試にもそのような可能性が同様にして、あろう。しかしいずれにせよ、それはまだだいぶ先の話である。以下、この事件の時代が特殊であったことを浮き彫りにするために、以下の状況分析をしてみる。

まずその一は、この時代の大学の専門教育などはほとんど存在しないに等しく、専門教育と言えるものを受けるためには大学院にまで進学しないといけなかった、という事柄が挙げられる。理由は大学の最初の二年間は「教養教育」で潰されるからであり、最後の一年間は「就職活動」でかなり占められるからである。理系の就職者が大学院まで行くのが当然であることや、医学部が四年では到底足りないので六年制であることを考えてもわかることだ。なので、この時期に「大学での学問を学ぶために大学に進学する」と述べたとしてもそれははかなり空疎に聞こえる。つまりどうあがいても大学進学は「大卒資格を得て就職するためのツール」以上にはなりえなかったのである。(もっとも教養部が廃止されてからは就職活動の期間が長期化して三年時からになったので、実際にはあまり状況は変わっていない)。そういうわけで、この少年が「大学」という単語から連想されるものが「受験」であり、「入学後の学問」ではなかったとしてもそれをとがめることは到底できない。どのみち最低でも大学三年までは「学問」はお預けなのである。そして本格的な研究は大学院の領分なのである。

その二は、「高校の文系科目や文系の大学受験勉強が、大学入学後の準備として位置づけられていないこと」がある。周知のように、理系とは異なり、高等学校の文系科目は大学での人文科学や社会科学を学ぶ準備や前提という位置づけをもつという保証は(分野にもよるが)まったく無い。というより、もっと言えば「大学での学問のうち、特に社会科学や社会思想に連なるもの」をできるだけ高等学校から排除しようとしたのが、高等学校の文系科目なのである。文科省がぜひとも高等学校で生徒にやらせたいのは主に日本史と古文なのであり、他はおまけみたいなものである。そしてそのおまけまで含めても、大学で学ぶことの必須の準備として位置づけられるものではとうてい無い。文系の場合「準備として必要な素養」の多くは、結局大学での教養科目等で大幅に補っているのであり、高等学校は足踏みの期間である度合いが高い。なのでこの状況を反映して、慶應大学が昔からやっているように、文学部まで含めて入試科目に国語が無いだとか、東大が1990年から行なっているような文系の後期入試のように、もはや高等学校のカリキュラムとの連関を強く指定しない受験科目によって、大学も学生を選抜するようになる。だがまだ時代は、それ(東大後期施行)より以前の時代である。なので、仮に大学でのカリキュラムを「単位を揃えること」というふうにかなり割り切って考えた場合ですら、大学受験の勉強は英語以外は必ずしも積極的な意義をもたない。特に法学部や経済学部に進学する者にとっては「ほとんど意義が無い」に近いものになる。大企業が法学部ついで経済学部から学生を多く採用するのは、「それだけ実利的な価値の低いものに時間を割いてきたその努力と才覚」をある程度以上評価するからである。

なお、この事件の記録を読んでいると全く証言に登場しないため、思わず忘れそうになるが、この少年が生きていれば共通一次試験の受験生一期生だったはずである。ということはその前年までは国立大学の入試は「一期校/二期校」制だったわけであり、一次試験もまた国立大学ごとに行なうのであった。つまり、東大の場合文系科類を受験する場合は、「東大の出題する文系用の理科一科目」も受験しなければならないのである。なので、この少年の時代においては共通一次試験も含めてまだ未知数の事柄が多く(すなわち二次試験準備の片手間程度の労力しかかけないものになるとは想定しきれず)、したがって「文系であっても一次試験は(東大なら東大の出題する)理科一科目が必要な科目」という想定であるはずだ。ただその理系科目であっても、「入学してから学ぶ学問のために必要な準備」としては位置づけにくいのは文系科目以上であろう。そういうわけで、前の段落で述べた事柄は特に変更は要しない。ただこの時代には「文系受験生であっても理科一科目が国立に入るには必要かも」という想定がまだある程度生きていたことを確認はしておきたかったのだ。

その三は、「大卒を採用する企業や官公庁は、大学での学問の成績や成果」によって採用するわけでは全くない、という現在でも変わっていない事態である。何しろ、「卒論のある学部」であっても卒論を書き始める前に「内定」が決まったりするくらいなのだから、いかに大学での学問など企業にとってどうでもいいかが知れようというものだ。なので、東大に進学したいという願望は、要するに「東大卒が就職できる先に就職したい」という事柄かあるいは「大学入試で最難関に合格したい(自分の優秀さを証明したい)」という事柄かのいずれかであって、「東大で学問を学びたい」には普通ならないしなりえない。もしなるとしてもそれはその学んだ成果によって企業や官公庁に採用される理系のみである。文系の場合そのような「○○大学で××を学びたい」などということを考えるのは、相当の変人だけである(大塚英志氏のように民俗学を学ぶために筑波と國學院を併願するなど)。いるとすれば学者一家に育った者というこれまた例外的な生まれの者だけである(この場合、「東大で学位をとって学閥のトップに立ちたい」という願望をもつこともありうるが、当然限られる。)また、そのような願望を援助・促進するような情報もツールも、市場にはほとんどない。現在のようにインターネットが発達しているわけでもなければ、そもそも高校生が読めるような新書などもかなり種類の乏しかった時代の話であることを忘れてはならない。なので、この少年の母親のように「文学や哲学に耽溺→受験勉強の邪魔(または逃避)」と受け取るのは「正しい」のである。と同時に、そのような母親を「教養が無い」と罵倒する少年もやはり「正しい」。ただその「教養」というのは徹底的に「受験勉強」や「就職」と対立的な関係にあるのであった。就職と教養とがとことん対立しているという主張は、前掲の『グロテスクな教養』でも縷々説かれている事柄である。この少年の場合、仮に大学合格まで首尾よく行ったとしても、今度は「就職」をめぐって何らかの騒動が起こることは想像に難くなかったのだ。

「試験勉強に強い」という特質やモノサシは、無い

この事件を「単一の価値観やアイデンティティしか通用しないことの悲劇」のように捉える者も多い。ここに見られるのは「試験勉強に強いという能力」あるいは「試験勉強に強いという性質(人格)」というものが成立する、という前提である。だが、この事件はそういう概念を想定することで説明できるようなタイプのものだろうか。そこには疑念を差し挟む余地があることを指摘したい。

たとえば「英語での発話」を聞いてそれを「聞き取る」(ディクテーション)という試験と、「音楽」を聞いてそれを「聞き取って採譜する」という試験とを考えてみよう。前者は「試験勉強」の能力だが、後者は「音楽」の能力である、というのは恣意的に過ぎる、と誰もが思うだろう。また、前者には創造性が必要ないが、後者には創造性が必要である、たとえばモーツァルトができたではないか、というのも恣意的に過ぎるだろう。モーツァルトにできた「音楽を記憶して採譜する」能力は、訓練するメソッドさえあれば、凡人にも程度の差はあるだろうが可能であり、ある程度の練習可能性というものはあるからだ。「ペーパーテスト」という外見や「筆記するという行為が同一である」という外見の類似性によって、「同じ能力」か「違う能力」かが決まるわけではない。

このことは、「ペーパーテスト」で選抜された者が外科医になっても成功することが少なくない、ということからも言えるし、他の理工系の職業に関しても言えるのである。理系の専門的な職能の多くは、理系の学力試験を解く能力とは別の能力が必要である、と思えるはずの内容だが、にもかかわらずその適性をペーパーテストで測っても、それほどすごく大きな支障は出ないのである。なぜか。それは外科医の能力にせよ、理工系に見られる手先の器用さや自然物・人工物への洞察の深さにせよ、「学習可能なもの」としてある程度は体系化されているからである。もちろん一定の適性は必要であり、筆記試験は解くことができても、手先が不器用とか工作の才覚がまるでない、ということは大いに起こりうる。ただそれは、筆記試験と専門的職能との間にある違いから予想できるほどには、あまり起こらない。つまり専門的職能に必要な独自の能力は一定程度「学習可能なもの」として体系化されており、「特に向いていない」者でなければある程度は習得できるのである。

だから、もし「試験勉強に強いという能力」を考えるのだとすれば、そこでもっとも深く影響するのは「何であれ学習するという能力」の高さだということになる。マニュアルやカリキュラムがきちんと与えられ時間を相応にかけることさえできれば、東大入試だろうが自動車の運転だろうが楽器の演奏だろうがマンガ描きだろうが無人島に漂着して生き延びることだろうが、何だって「ある程度は」できる、という能力である。そこで肝腎なのは、ちゃんとしたマニュアルやカリキュラムが存在し、それなりの教師とそれなりの時間をきちんと与えられることだけである、というわけだ。ただし「集団スポーツ」や「社交性」や「囲碁・将棋」のように「あからさまに相手が必要」なものに関してはいったんここから除外したほうが良いだろう。一応は「個体の能力」と見なしうるものに限定はしておきたい。なおコミュニケーションへの自信が絶大に欠けている場合の悲劇は、この少年の10歳年下の者が起こした「全日空ハイジャック事件:」があると思うが、これはまた別の問題である。

さて、この少年に欠けていた能力をひとまず「開成学園で上位の成績をとる能力」だとしてみよう。この少年は「開成学園に入学する成績をとる能力」があり、ひょっとすると「何であれ学習するという能力」も高かった可能性もある。だが「開成学園で上位の成績をとる能力」は欠けていた。もし「開成学園で良い成績をとるための塾や参考書」というものが存在していたなら、少年はそちらでは好成績を上げることができたかもしれない。そしてそのことによって実際に開成学園での成績を上げることができたかもしれない。だがそんな「開成学園で良い成績をとるための塾や参考書」というものは存在していなかったし、おそらくその後もほとんど無いだろう。実際には多くの生徒は、そこで開成学園で良い成績をとることは目指さず、「東大入試に合格するための勉強」を独自にすることによって、結果的に開成学園でもある程度の成績にはなる、という形で適応してきたのだ。この少年の悲劇というものは、結局「何であれ学習するという能力」というものは高かったかもしれないが、学習可能な形にカリキュラム化されていなかった「開成学園で上位の成績をとる能力」というものに欠けていたのだ。それはつまりマニュアルのないものを達成する能力の一種にほかならない。

この少年の悲劇を「単一の価値観」による支配と挫折という方向で語るのは、どこかうまくいかないように思える。「学習可能なものとして可視化されたものを学習できるという能力」と「マニュアルのないものを達成する能力」とは別だからだ。ただ、先にも示唆したとおり、「開成学園でよい成績をとる」ためのカリキュラムは存在していなくても、「東大入試に合格する」カリキュラムを独自に進めていけば、結果的にその能力はある程度は転移する。東大後期の入試問題や各大学の小論文入試などのようなものも、いっけん「マニュアルのないものを達成する能力」が要されるようにも思えるが、ある程度はそのようにして「他の枠での入試問題」の対策で通用する部分もあり、転移する部分もある。そのため、その違い方はあまり目立たない。ただやはりその「学習可能なものができる能力」と「マニュアルのないものができる能力」とは別物としておいたほうが、本当は良い。その意味でいけば、この少年の悲劇は「単一の価値観や能力観」の支配による悲劇ではなく、「複数の価値観や能力観」の相違が認識されていなかったことの悲劇とみたほうが良いように思う。「開成学園で好成績をとる」というのはどちらかといえば「マニュアルのないものを達成する能力」のほうに近く、「東大入試に合格する」ことに比して、より「道なき道を開拓する」という要素が強かった、そう見たい。だから東大の前期入試で成績の良かった者が、後期試験でさっぱりだったり、通常の入試で大学に入学した者が大学の講義がさっぱり理解できないことに近い、そういう現象だったのだ。ここで、「試験勉強に強いという性質一般」とか「知的処理能力一般」といった概念を想定してもそれは現実とは異なる想定になるだけのように思う。

なお「何であれ学習するという能力」一般を想定可能なようにここまで書いてきたが、実際には「そのためには3歳から学習を始めるべし」とか「思春期に入って身体ができてからでないと意味が無い」などと臨界期やその他のさまざまな制限があるので、実際には「何であれ学習するという能力」の敷居はそれだけ考えても決して低いものではない。また「特に向いてなければ」習得可能といっても、実際には「どんな分野にも特に向いてないことなんて無い」という者もあまりいないだろう。行動主義の心理学者がどんな子供でも○○に育てることができる、と豪語するほどには、この「何であれ学習するという能力」一般は有効なものではない。


2018-02-27 80年代「男子御三家」合格者の居住地傾向概観

追記:麻布中の合格者合計数を修正した。それに伴って占有率も修正した。2018.03.09

以下の、リンク先の筆者作成PDFファイルと、それに関連する算出結果から、次に示すような見解をひき出してみる。

80年代「男子御三家」合格者の居住地傾向概観資料(PDFファイル)

各校の「同学区者占有率」
項目 開成合格者 麻布合格者 武蔵合格者
集計合格者総数 (私国立小から含む) 915名 982名 548名
「該当各校に2 名以上合格公立校」 からの合格者数 387名 550名 281名
「該当各校に2 名以上合格公立校」 からの合格者占有率 42.3% 56.0% 51.2%

結論として言うと、「難関中学合格者は、難関中学合格者の居住地域の偏りの全体像を認識することが1980年代には難しい」となる。どういうことか。

まず開成である。開成の合格者の出身小学校一覧を眺めていて普通まず感じるのが「茫漠としていてとりとめがない」である。要するに「開成に多く進学する地域が存在する」という印象をもつことが難しい。その印象の根拠が、上に示した「同学区者占有率」である。麻布や武蔵に比べ、開成は42%とやや少ない。要するに開成というのは「開成に多く合格する学区」からの合格者の占有率が低めの学校なのだ。

開成の在籍生徒の居住地で強調される傾向はだから、「いろんな地域から生徒が来ている」であり、特に話題になりやすいのは「やたら遠方から通学している生徒がいる」である。たとえば本多勝一『子供たちの復讐』(朝日出版社、1989)や森上展安『10歳の選択 中学受験の教育論』(ダイヤモンド社、2009)でもそのような話題が生徒や事務長から出る。たとえば水戸や九十九里浜などから通学している生徒が言及された。

その一方で、上掲の「居住地傾向概観資料」を参照してみると、少なくとも千葉県の柏を中心とする一帯は、開成合格者が特権的に多い地域といって良いこともわかる。ただ、それは結果からみると明らかなのだが、言説の形で見ることは意外と多くない。一方、言説の形で既視感があるのは「開成は下町の生徒が多い」である。先の森上本でも日暮里・舎人ライナー沿線に200人規模で生徒が住んでいる、という言及がある。しかし、そういった傾向はたしかに多少はあるかもしれないが、「居住地傾向概観資料」を見てもわかるように、少なくとも80年代にはそういったくっきりとした傾向は存在しなかった。この時代においても、江戸川区や足立区からの合格者と、目黒区や世田谷区からの合格者とでは、後者のほうが少し多いんじゃないかなあ、くらいの傾向ではあるのだ。なお、地域とは別に、「大規模公務員住宅のある学区」からの合格者は抜きんでて多い、という傾向もあるにはある。官僚の子供は開成志向が強いかもしれないわけだ。

他方、麻布の場合は「麻布のある広尾駅へのアクセスの良い地域の生徒が多い」すなわち「港区および東急沿線(特に田園都市線と東横線沿線)の生徒が多い、と認識されやすくなり、武蔵の場合は「武蔵のある練馬区に近接している地域の生徒が多い」すなわち「練馬区、中野区、杉並区、武蔵野市、三鷹市などの生徒が多い」、と認識されやすくなる(ただし交通アクセスが良いわけではない)。麻布の場合は「近いわけではなくともアクセスの良い地域」の生徒が多いと認識されやすくなり、武蔵の場合は「アクセスは良くなくとも近い地域」の生徒が多いと認識されやすくなるわけだ。

このように、中学受験難関校の合格者は居住地が棲み分けてしまい、各校ごとにその「理解の仕方」も異なるため、全体としてみたときの「難関校に合格するような小学生の居住地の偏り」≒「その親であるような階層の居住地の偏り」の「全貌」が見えにくくなる。実際には、これらのなかから「筑駒に進学する者」も多く出るため、なおさら分散してしまい、相互に傾向が見えにくくなる。麻布や筑駒の場合だと「ブルジョアの子供が多い」となり、それはそれである程度正しいものの、「高学力→金持ち」と短絡されやすくもなる。しかし実際にはそこまでの金持ちである必要はなく、むしろそれと連動する各種の要因をより多く満たしている者が有利になるという複合的な現象なのだ。

ということはすなわち、「そもそも首都圏の居住地の全体」に「格差」それも「地理的・自然災害リスク」の格差があること自体も、これらの出身者は認識しづらくなる、という可能性があるわけだ。その指摘だけしておく。


2018-02-06 引用集01

はじめに

この記事は今後移転する可能性が高いことをお断りしておく。また、通知することなく、内容を増加・変更することがある。さらにまた「強調」に関してであるが、原文での様式を忠実に再現することを全く保証しない。たとえば太字・傍点・下線等の様式が忠実に再現されることは保証しない。

木村朗・高橋博子『核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』

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p209-211。

一口にがんと言っても、いろいろな種類のがんがありますが、問題になるのは、死に至るほど重篤ながんです。そこで一般には、発がんのリスクではなく、生涯にわたってがんで死亡するリスク(生涯がん死亡リスク)を考えます。このリスクが上がるのは、一〇〇ミリシーベルト以上の被ばくからというのが日本政府の公式見解でもあります。

文科省が二〇一一年十月に刊行した、小中高の生徒向け冊子『放射線等に関する副読本』には次のように記されています。

一度に多量の放射線を受けると人体にがんなどの症状が現れることは分かっているが、子どもも含め一度に100ミリシーベルト以下の放射線を受けた場合に放射線が原因と考えられるがん死亡が増えるという明確な証拠はない。

このように、一〇〇ミリシーベルトの被ばくが、生涯がん死亡リスクを考える際の基準になっているわけです。それでは、この一〇〇ミリシーベルトという数字はいったいどこから出てきたのでしょうか。

結論を述べますと、その起源は、アメリカ原子力委員会、原爆傷害調査委員会(ABCC)とその後継機関である放射線影響研究所(放影研)による、広島、長崎の調査にあります。

p228-229。

ここまで、現在の国際的な放射線防護基準の基礎となる、広島、長崎の被爆者の健康調査(LSS)と、線量推定システムという二つの指標の問題について見てきました。

二つの指標それぞれで、被ばくの影響が過小評価されています。こういう何重にも積み重ねられた過小評価のうえに、放影研や日本政府による「一〇〇ミリシーベルト以下では生涯がん死亡リスクは不明(危険とは言えない)」という説が作り上げられているわけです。

新しい線量推定システムDS02では、爆心から二キロメートルでおよそ一〇〇ミリシーベルト、二・五キロメートルでおよそ五ミリシーベルトの被ばく線量とされます。したがって、「百ミリシーベルト以下では生涯がん死亡リスクは不明(危険とは言えない)」というのは、「広島、長崎の原爆を二キロ離れたあたりで受ける線量なら生涯がん死亡リスクは不明」と言っていることに等しいわけです。しかし、ここまで見てきたように、ABCCも放影研も、リスクを評価するにあたって、初期放射線しか考慮していません。福島第一原発事故のように、残留放射能と本質的に同じである放射線降下物の影響が問題になる場合には、放影研のデータは役に立たないのです。

健康調査(LSS)の問題点の説明はたとえば、p111-112。

ABCCは、統合研究計画に一丸となって取り組む組織に生まれ変わりました。こうしてはじまったのが、LSSと呼ばれる、「寿命調査(Life Span Study)です。LSSでは、広島、長崎に住む人(被爆者、非被爆者)から調査対象が固定されました。固定されるとは、「いったんこの人を調べると決めたら、その人が死ぬまで調査が続けられる」という意味です。

放影研の説明を見てみましょう。

寿命調査(LSS)は、疫学(集団および症例対照)調査に基づいて生涯にわたる健康影響を調査する研究プログラムで、原爆放射線が死因やがん発生に与える長期的影響の調査を主な目的としています。1950年の国勢調査で広島・長崎に住んでいたことが確認された人の中から選ばれた約94,000人の被爆者と、約27,000人の非被爆者から成る約12万人の対象者を、その時点から追跡調査しています(放影研ホームページ「用語集 寿命調査」より)。

十二万人が対象ですから、非常に大規模な調査であることはまちがいありません。このLSSが、現在、国際的な放射線防護基準を決める根拠となっているのです(もう一つの根拠が後で述べる線量推定システム)。(後略)

p223-225。

しかし、LSSが深刻な問題を含んでいることは、科学技術史家の中川保雄や物理学者の澤田昭二をはじめ、多くの被ばく問題研究者によって指摘されてきました。ここでは典型的な問題を二つあげます。

一点目は、原爆投下時から一九五〇年十月一日までに、放射線被ばくによって亡くなった被爆者がまるごと無視されていること。

中川保雄は、これに関する問題点を次のように指摘しています。

[LSSの]調査期間を一九五〇年一〇月一日以降としたことから、つぎのような問題が生まれた。第一にアメリカ軍合同調査委員会とABCCは放射線による急性死は原爆投下後ほぼ四〇日ほどで終息したと評価したが、それ以後もおよそ三ヵ月間引き継いだ急性死がそこでは切り捨てられている。(略)第二に急性死と急性障害の時期を生き抜いたとしても、放射線 被爆 ( ママ ) による骨髄の損傷が完全に回復することはない。骨髄中の幹細胞の減少によるリンパ球、白血球の減少は避けられない。(略)また、骨髄中の幹細胞に残された障害による突然変異に起因して、晩発的影響である白血病、再生不良性貧血や血液・造血系の疾患が発生する。このように、感染症等にかかって死亡する被爆者が一九五〇年以前には多数存在したと考えられるが、ABCCの調査にはそれらの死亡は全く考慮に入れられていないのである(『放射線被曝の歴史』)。

放射線被ばくの影響を強く受けた人、あるいは被ばく線量そのものは小さくても放射線に強い感受性を持つ人が、早期に重い症状を呈し、死亡に至った可能性は、当然考えなければならないはずです。それなのに、一九五〇年十月一日以前に亡くなっていたため、放射線被ばくに影響を考えるうえでもっとも重要な人たちが調査から除外されました。なんと皮肉なことでしょうか。生き残った人の間で比較しても顕著な差は出にくいのです。

二点目は、被爆者同士を比較していること。疫学調査で大事なのは、正しいコントロール(対照)を設定することです。放射線被ばくの影響を明らかにしたいのであれば、被ばくした人と、全く被ばくしていない人からなるコントロール群とを比較しなければなりません。ところが、ABCCとその後身の放影研は、被爆者同士を比較するという過ちを犯し続けているのです。

(中略)

「異なった距離の被爆者の比較」とは、近距離被爆者と遠距離被爆者を比較したということです。近距離被爆者とは、爆心地から二・五キロメートル以内で被ばくした人、遠距離被爆者とは二・五~一〇キロメートルの範囲で被ばくした人のことです。近距離被爆者と遠距離被爆者を比較すると、結果的に、遠距離被爆者に対する影響は無視されることになります。

ABCC・放影研は二〇一二年までにLSSを第十四報まで公表していますが、近距離被爆者と遠距離被爆者を比較する過ちを犯しつづけています(正確には、一九九〇年頃から、遠距離被爆者も、それまでの近距離被爆者の区分に組み入れていますが、統計処理上、実質的にそれ以前と同じように被爆者同士を比較しつづけています。170ページで触れた澤田昭二が、これについて「放影研の『黒い雨』に関する見解を批判する」で詳しく解説しています。

線量推定システムの問題点の説明はたとえば、p117-118。

先に紹介したABCCの生物統計部長ウッドベリーは、イチバン計画の開始にあたって、残留放射能の影響は考慮しないのかと問い合わせ、研究資料も送りました。しかし、彼の提案はここでも無視されます。この実験に携わった科学者の証言によると、当時のアメリカ原子力委員会委員長が、実験についてマスコミに漏らしたら「殺す」と言っていたそうです。このように極秘裏に行われた、言い換えれば、透明性の低い実験をもとに作られたのがT65Dなのです。

T65Dは長く権威ある線量推定システムとして利用されてきましたが、一九七〇年代に致命的な欠陥が見つかり、一九八六年にDS86という線量推定システムに取って代わられます。さらに二〇〇二年にDS02と呼ばれる改良版が出されて今に至ります。

線量と一口に言っても、T57DからDS02まで扱っているのは基本的には初期放射線の線量のみで、残留放射能による線量は無視されています。その事情について、『放射能影響研究所 要覧』(二〇一四年七月)は、次のように説明しています。

「残留放射線」の推定に必要な情報の入手はほとんど不可能に近いことから、線量評価システムでは初期放射能による個人別・臓器別被曝線量だけを推定している。

測定する手段がない。それが残留放射能が無視される理由の一つです。もうひとつの理由として、放影研が挙げるのは、残留放射能の影響はとるにたらないということです。しかし、問題なのは放影研が、残留放射能についても、初期放射線と同じように、「個人別・臓器別被曝線量だけを推定している」点です。すでに述べた内部被ばくの影響の仕方を思い出してください。初期放射能(ガンマ線や中性子線)のような外部被ばくとは違って、残留放射能による内部被ばくは、体内の細胞レベルに効いてきます。それなのに放影研は、「個人別・臓器別被曝線量だけを推定」するのです。これは、人体レベルや臓器レベルで、線量を均してしまうことを意味します。人体にせよ、臓器にせよ、細胞一個よりはるかに大きいことは言うまでもありません。放影研は、本来、細胞レベルで考えなければならない内部被ばくの影響を、人体レベル、臓器レベルで考えることで、小さく見せているのです。

木村朗・ピーター=カズニック『広島・長崎への原爆投下再考―日米の視点』

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この本は論証が明快でないので読んでいていらつくが、提示されている「仮説」は驚くべきものであり、広く共有されることが望まれる。

p188-190。

(前略)一つはですね、1945年の春の日米両政府の動きです。日本は1945年の2月以来ですね、実はすでに降伏を模索し始めていました。その2月というのは、天皇に降伏を進めた近衛上奏文が出された時期で、それは結果的に却下されたんですが、それが最初の動きです。そして5月。3月に沖縄戦がはじまり、5月8日にドイツが降伏しますけれども、その時期ですね。2月から5月にかけての時期が一つのポイントで、この時期が日本に降伏を求める最初のチャンスであったと思います。アメリカは日本にそういう降伏・終戦を模索する動きがあるということをすでにつかんでいたんですね。でも、その情報を知ったアメリカは、それを歓迎するのではなく、むしろ困ったというか喜ばしくないように受け止めたのではないかと思います。これはマンハッタン計画の主導者であるグローブス将軍の動きによくあらわれています。彼は、このままでは原爆開発が成功しない前に、日本に原爆を投下する前に、日本が降伏してしまうかもしれないということで非常に焦って、マンハッタン計画のスピードアップを命じました。またトルーマン大統領の動きですが、ポツダム会談を早ければ5月か6月にも開催するという可能性もあったんですが、それをわざわざ原爆実験が予定されていた7月半ば以降に延期したんです。それは戦争終結を意図的に延期した、ということと同じだと思います。もう一つは、アラモゴードの原爆実験の結果ですが。それは不幸にも成功したわけです。(中略)

当時アメリカは、ウラン型原爆はもう完成し持っていましたけれども、プルトニウム型原爆については実験次第でありました。だからこの原爆実験に失敗した時は、たとえウラン型原爆一発を持っていたとしても、それは虎の子の一発であって、戦後の冷戦、ソ連との対決を考えたら、その一発だけを落とすという選択肢はなかったのではないかと思います。

それともう一つ重要な視点は、グローブス将軍が一番明確にそのことを言っているんですが、日本への原爆投下は常にウラン型とプルトニウム型をセットで二発落とすということが必須の命題として考えられていたということです。

グローブス将軍はアラモゴードで原爆実験が成功した後に部下からこれで日本との戦争が終りますね、と言われたときに、「いや、まだだ。原爆を二発投下するまでは終らない」と語ったと伝えられています(アラモゴードでの実験はプルトニウム型の原爆)。

(中略)

それで広島への原爆投下後、それによって日本が降伏、ポツダム宣言受諾に動くかどうか、十分、時間的余裕を与えないまま、さらに二発目の原爆投下を、しかもソ連参戦があった直後に、長崎に対して行いました。それで長崎に何故落としたかと言えば、もし長崎に原爆を落とさないで、ソ連参戦直後に日本が降伏した場合には、ソ連参戦によって日本が降伏したということにもなりかねない。それで、もしそのようなことになったら大変ですので、それを避ける為にも直ちにソ連参戦直後に落とす必要があったということではないか、と思います。

本来ならば広島に原爆を落とした三日後の8月9日未明にソ連参戦があった(対日宣戦布告は8月8日)わけですから、それで日本降伏を待つのが当たり前なのですが、それをせずに長崎に続いて原爆を落とした理由は、ソ連参戦の影響を最小限にしたいということの他に言えば、やはり広島に落としたウラン型原爆の他に、まだ一個残されていたプルトニウム型原爆の実戦での使用をおこなう必要があったということだと思います。つまり、プルトニウム型原爆は実験では成功しましたけれども、実戦で成功するかどうかはやってみないと分からないという部分があって、やはり実戦での使用の可否、その影響を知るという、新型兵器の実験をどうしてもする必要があったのだと思います。

p27-28。引用内引用は「被爆者救護法―もうひとつの法理」『毎日新聞』1994.09.06付

こうした仮説を最も早くから主張していた人物の一人が故芝田進午氏である。彼の次の言葉は実に説得力に富んでいる。

広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。一つには戦後世界での米国の覇権確立であり、二つには「原爆の効果」を知るための無数の人間への「人体実験」だった。だからこそ、占領直後に米軍が行ったことは、第一に、原爆の惨状についての報道を禁止し「人体実験」についての情報を独占することだった。第二に、史上前例のない恐ろしい火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者のケロイドの皮膚や臓器や生存被爆者の血液やカルテを没収することだった。第三に、日本政府をして国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否させることだった。たしかに「実験動物」を治療するのでは「実験」にならない。そこで、米軍は全力を尽くして被爆者の治療を妨害したのである。第四に、「実験動物」のように「観察」するABCC(「原爆傷害調査委員会」と訳された米軍施設)を広島・長崎に設置することだった。加害者が被害者を「調査」するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか。

矢部宏冶『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(20141019,集英社インターナショナル)

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筆者(わたし)はこの本の議論の焦点はこの本が「集英社」という「アメリカに都合の良い歴史を日本人に刷り込むこと」に長年貢献してきたような出版社の出版物であることだろう、と思っていたし、今でも思っている。だが「事態は全然それ以前」であり、この本を「良い」という人は「言論を発信したり活動をする」人ではまったくなく、それに対して「言論を発信したり活動をする」人というのはこの本・著者に対してまったく無反応・無視である、という状況がこの一年で急速にわかってきた。なので、まずこの本の一部の叙述は「かなり広く共有」され「言及」されないと話にならない。「岩波vs集英社」などという「論壇の見取り図」のような話題など、高度過ぎて多くの人には全くの無縁だったのである、が、論壇でもそういう話題をする人は皆無である。

p95。

その後調べると日米原子力協定という日米間の協定があって、これが日米地位協定とそっくりな法的構造をもっていることがわかりました。つまり「廃炉」とか「脱原発」とか「卒原発」とか、日本の政治家がいくら言ったって、米軍基地の問題と同じで、日本側だけではなにも決められないようになっているのです。条文をくわしく分析した専門家に言わせると、アメリカ側の了承なしに日本側だけで決めていいのは電気料金だけだそうです。

p96。

一方、日米原子力協定では、多くの条文に関し、「日米両政府は○○しなければならない(the parties shall…)と書かれています。「しなければならない(shall)」はもちろん法律用語で義務を意味します。次の条文の太字部分を見てください。(中略)つまり「アメリカの了承がないと、日本の意向だけでは絶対にやめられない」ような取り決めになっているのです。(後略)

p97-98。

事実、野田内閣は二〇一二年九月、「二〇三〇年代に原発再稼働ゼロ」をめざすエネルギー戦略をまとめ、閣議決定しようとしました。このとき日本のマスコミでは、「どうして即時ゼロではないのか」とか、「当初は二〇三〇年までに稼働ゼロと言っていたのに、二〇三〇年とは九年も伸びているじゃないか。姑息なごまかしだ」などという批判が巻き起こりましたが、やはりあまり意味のない議論でした。外務省の藤崎一郎駐米大使が、アメリカのエネルギー省のポネマン副長官と九月五日に、国家安全保障会議のフロマン補佐官と翌六月に面会し、政府の方針を説明したところ、「強い懸念」を表明され、その結果、閣議決定を見送らざるをえなくなってしまったのです(同月一九日)。

これは鳩山内閣における辺野古への米軍基地「移設」問題とまったく同じ構造です。このとき、もし野田首相が、鳩山首相が辺野古の問題でがんばったように、「いや、政治生命をかけて二〇三〇年代の稼働ゼロを閣議決定します」と主張したら、すぐに「アメリカの意向をバックにした日本の官僚たち」によって、政権の座から引きずりおろされたことでしょう。

いくら日本の国民や、国民の選んだ首相が「原発を止める」という決断をしても、外務官僚とアメリカ政府高官が話をして、「無理です」という結論が出れば撤回せざるをえない。たった二日間(二〇一二年九月五日、六日)の「儀式」によって、アッというまに首相の決断がくつがえされてしまう。日米原子力協定という「日本国憲法の上位法」にもとづき、日本政府の行動を許可する権限をもっているのは、アメリカ政府と外務省だからです。

p35。

こうした弾薬庫に、もっとも多い時期には沖縄全体で一三〇〇発の核兵器が貯蔵されていました。これはアメリカの公文書による数字です。

緊急事には、すぐにこうした弾薬庫から核爆弾が地下通路を通って飛行場に運ばれ、飛行機に積みこまれるようになっていた。そしてショックなのは、それが本土の米軍基地に運ばれ、そこからソ連や中国を爆撃できるようになっていたということです。

(中略)

中国やソ連の核がほとんどアメリカに届かない時代から、アメリカは中国やソ連のわき腹のような場所、つまり南北に長く延びる日本列島全体から、一三〇〇発の核兵器をずっと突きつけていた。

(中略)

「えーっ、沖縄に一三〇〇発の核兵器があったの?」「しかもそれが本土の基地に運ばれて、そこから飛び立って中国やソ連を核攻撃できるようになっていただって?」とても驚きました。この年になるまで、まったく知らなかったからです。「じゃあ、憲法九条ってなに?」と当然、疑問をもつわけです。

そこで歴史を調べていくと、憲法九条二項の戦力放棄と、沖縄の軍事基地化は、最初から完全にセットとして生まれたものだということがわかりました。つまり憲法九条を書いたマッカーサーは、沖縄を軍事要塞化して、嘉手納基地に強力な空軍を置いておけば、そしてそこに核兵器を配備しておけば、日本全土に軍事力はなくてもいいと考えたわけです。(一九四八年三月三日/ジョージ・ケナン国務省政策企画室長との会談ほか)

だから日本の平和憲法、とくに九条二項の「戦力放棄」は、世界じゅうが軍備をやめて平和になりましょうというような話ではまったくない。沖縄の軍事要塞化、核武装化と完全にセット。いわゆる護憲論者の言っている美しい話とは、かなりちがったものだということがわかりました。

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2018-01-28 「事実」と「意見」・「知識」と「理解」

以下の論考はまだ決定的に不十分であることをお断りしておく。

ここ二十年ほどの国語科教育について検討するときに中核となるのは、おそらく「命題」という概念である。つまり「真理値をもちうる文」である。とは言え代表的であり主に取り上げられるのは、そのうちの「事実」である。「真理値をもちうる文」のなかには、「法則」や「真理」(数学の定理や、ニュートンの三法則のような自然科学の基本法則)や、ある種の「定義的命題」もあるが、たいていの場合はそれらよりは「事実」のほうが想定されていることが多い。なので、以下では、「事実」という語で、「法則」「真理」「定義」なども含めて「真理値をもちうる文」全般を想定することにする。たとえば「2018年1月28日山田太郎は犬の散歩をした」なら「事実」(過去形)である一方で、「山田太郎は週に一度は犬の散歩をする」なら「法則」(普遍的現在形)であるわけだが、どちらも一緒くたにして「事実」と呼ぶことにする、というわけだ。

「事実」と「意見」という対比

石原千秋『評論入門のための高校入試国語』(2005,日本放送出版協会)では、大まかにいって次のような区分と著者独自の特徴づけが行なわれている。すなわち、かたや、「事実」中心に書かれ、「文の真偽ではなく、文の意味・正誤」が理解できることが目指されているのが「説明文」である、他方で、「事実と意見とが錯綜して」書かれており、両者を切り分けながら読むことが目指されているのが「評論文」である。これである。そして全体的な論としては、説明文は読むのが易しく中学生向きだが、評論文は読むのが難しく高校生向きである、とでもいうように総括されている。ただしここで言う説明文を読むというのは、文意を理解するということであって、真偽を判断するということではあまりない。しかし石原はその「説明文を読むときの真偽の判断」についてはずいぶんと軽く見ており、重視はまったくしていない。またその「真偽の判断」の教育も国語科の領分だと当然視している。ともかくそういうわけで、読む課題としては「事実」よりも「意見」のほうが高度であるために高等学校の分担になっていて中学校の分担ではない、という認識が示されているわけだ。

木下是雄の「意見」と石原千秋の「意見」とが同じ意味合いなのかどうかはわからない。以前別の文章でもふれたように、木下是雄が「事実と意見とを書き分けよ」と主張するとき、その「意見」は二つの用法が混在していた。一つは「オピニオン」や「判断」といったものであり、通常「意見」と呼ばれることの多いものである。「良しあし」や「賛成反対の態度」といったものだとも言える。それに対してもう一つは「仮説」「推測」「予測」といったものであり、要は「事実に昇格する可能性のあるもの」である。これらもまた木下是雄は「意見」と呼ぶのであった。そして石原がその「事実に昇格する可能性のあるもの」のことを「意見」と呼んでいるか、そう呼ぶことを前提にして「評論文」の自説を主張しているのかどうかは、はっきりとはわからない。

ここであらためて主張しておきたいのは、「説明文を読むこと(真偽判定)が中学生向きの易しい課題である」と石原がなぜ主張できるかの理由である。それは「国語の教科書か高校入試問題の範囲内」だからである。すなわち、こうだ。大学入試とは異なり、高校入試の国語科の出題は出題する者は必ず国語科教員である。要するに、国語科教員が手に負える範囲内の説明文しか、教科書や入試では扱われない。だから「説明文の真偽の判断」に関して、石原は深く検討することなくこの書籍を出版することが許されているのだ。「国語教員有資格者により作成された教材・出題」の範囲外になれば、膨大な量の「説明文」の「真偽判断」が「国語科教員の手に負えないもの」として現出することはあまりにも明らかである。報告文や報道文、ジャーナリストによる文や自然科学の論文や記事など、きりがないほどである。また、「事実を書いた文」と、「文学作品における風景等の描写文」との違いというのも思いのほか厄介である。ともかく、この書籍では「説明文の真偽を読者が判断するという課題」について等閑視したのみならず、むしろ「容易な課題である」という読後感すら引き起こしかねないような書き方をしていて、このことが国語科教育に与えている悪影響は決して小さいものではない。概括すればその悪影響というのは「事実について検討するという課題が存在することを教えないまま、事実を書いたような恰好の文章を読んで“意見”を形成することだけを要求する」といったものになろう。

「説明文を国語科で学習する」ときにその文章の「事実性」が焦点になることは無い、ということは教わった者は皆知っている。あくまで「事実表現」を学習するだけなのだし、「小説のリアリズムの描写」と決定的に異なるものとして学習するわけでもない。だが、「説明文の読解→中学生向き」/「評論文の読解→高校生向き」と位置づけられることによって、「事実性の検討」が求められている課題ではないことを生徒が無自覚的に学び取る結果を帰結する。「この文章を読んで意見を言いなさい」と言われたときに、「良しあし」や「賛成反対」を述べることはあっても「邪馬台国は奈良県にあったとこの文章には書いてあるけど、私は福岡県だと思う」といった「事実性についての検討」は生徒からはまず出てこない。それが出てこないのは当然で、国語教師の専門ではないからだ。つまり「説明文」というのは、文章の事実性の確認をできない専門の者が分担している、というわけだ。石原のこの「説明文の読解→中学生向き」/「評論文の読解→高校生向き」という「発達段階」にはそのことへの考慮が無い。

「知識・記憶」と「思考・理解」という対比

「知識」や「記憶」という概念は「事実」概念を前提している。「Aを知っている」「Aを記憶している」というときのAが「真理値をもちえない文」だったら話にならないからだ。少し乱暴に言えば、「知識」「記憶」であるためにはAは「事実」でなければならない。そして少なくとも「事実として正しいか誤っているかのいずれかである」ような恰好をしていなければならない、わけだ。

そのことの帰結はよくわからない。だが「事実概念と知識・記憶概念との密接な関連」に因って次の対比が自然に感じられるように思わされてはしまうだろう。すなわち「説明文の学習/評論文の学習」という対比が「難易度」を前提していたようにして、「知識・記憶」/「思考・理解」もまた「難易度」を前提している、という対比だ。しかしここには考え足りない論点がある。ただここまでの「事実」概念との関連付けはまだ筆者は考えつめていないので、以下は、今までとは別の方向で話をする。

さて、素朴に考えれば「Bということを理解する」ためには、そのBを構成する要素は「知っている」必要、「記憶している」必要があるはずだ。知識や記憶が無ければ、それを必要とする「理解」も「思考」もできない。たとえば「日本語の知識」というものだけでも必要である、ということくらいはわかるはずだ。「知識・記憶」/「思考・理解」が「易/難」の段階と重なって見えるとしたら、それは前者が前提になって後者が可能になっているからにほかならない。だがそのことが時に見えにくくなる。

その見えにくさに介在している一因は「記憶」や「知識」にも段階があることだ。たとえば「記憶」にも「いつでも好きなときに思い出すことができる」というレベルのものもあれば「言われて初めて思い出すことができる」というレベルのものもある。同様に「知識」にしても「コトバでなら言える」知識もあれば「体で身に着いている」ほどの知識もある。この場合の「知識・記憶」は「言われてみればわかる」程度の弱い記憶や「コトバでなら言える」知識といった、「弱い記憶・知識」でも十分である場合も多いのだ。

「記憶」や「知識」に段階があることを捨象し、「完全な記憶・完璧な知識」のみを特に想定すれば、「知識・記憶」と「思考・理解」とは、「前提/結果」というよりは、対立する二項と位置づけうる。すなわち「一つ一つの要素は完全に記憶して知っているのに、それが素材や前提となる理解や思考だけはできない」という状態が、特に顕在化され重視される。「知識がないと理解もできない」という弊害よりもはるかに「知識があっても理解ができない」という弊害のほうばかりが重要視され、要対策とされるようになる。「ハイパーメリトクラシー」化という社会現象を担っていたのは、この偏った重要視である。この偏りとは、「選別される者」を考慮せず「選別する者」の事情ばかりを考慮したものでもある。「知識がないと思考もできない」というのは試験等で「選別される側」の問題である。それに対して、「知識があっても思考ができない」というのは試験等で「選別する側」の問題である。「選別されるべきでない者を選別してしまった」という問題である。このように、「選別する側」の都合ばかりが言説として肥大化したのが、「ハイパーメリトクラシー」化のひとつの面であったわけだ。

「知っていること」と「知識」の相違

「知識」と「理解」の対立を先鋭にしている要因の一つに、「知っていること」を「知識」と呼ぶという呼称の問題がある。筆者の理解では「知っていること」≠「知識」である。「知っている」ことは「理解している」ことの前提である場合も多いわけだが、「知識」となるとむしろ「知っているけど理解していない」場合に優先的に使われる呼称となるわけだ。

戸田山和久『知識の哲学』の序章なども参考にしつつ述べると次のようになる。「私は自転車の乗り方を知っている」という発話は、戸田山によると「自転車に乗ることができる」と同義である、となるらしい。だがもしここに『自転車の乗り方』という書籍や文書が存在する場合、話はずっとややこしくなる。「私は自転車の乗り方を知っている」と述べる人がいても「知っているだけで乗れないんじゃないの?」と問うことが十分可能になるのだ。ましてや「私は自転車の乗り方の知識がある」などと言えば、それはむしろ「『自転車の乗り方』という書籍に書いてある内容を記憶しているだけで、自転車に実際は乗れない」と積極的に述べたのに近いことになる。というのも、もし乗れるのならば、「乗り方の知識がある」などという言い方はまず絶対しないからだ。ここに「知っていること」と「知識」との差がある。「知っている」の場合なら、「経験している」や「理解している」との差は多少流動的だが「知識」ならばそうでないからだ。一方、日本語で「知識」と呼ばれるとき、特に学術的な文脈や外国語の訳語を話題にしているのでもない限り、それは「書かれた文字列を知っている」であり「書かれた文字列を知っているという以上のことはない」ですらある。というのも、それ以上の場合なら、「できる」とか「理解している」と言うのに決まっているからだ。その意味では、『自転車の乗り方』という書籍が眼前にある場合は、その書籍の内容を知っている場合には、「自転車の乗り方を知っている」とは言わずに、「自転車の乗り方の知識がある」と述べる方が、通常であろう。「乗り方を知っている」だと「乗り方を理解している」ことや「乗り方を経験している」こととの区別がつきにくくなるからだ。

「知っている」と「知識がある」との日本語語用上の違いは、だからこうだ。「私は自転車の乗り方を知っている」と発話するとき、それは「自転車に乗ることができる」と同義であると見なす戸田山の見解に対して、筆者はやや異を唱えておきたい。「私は自転車の乗り方を知っている」というとき、それは「自転車に乗ることができる」以上のことをむしろ含みうる。それは「自転車の乗り方という、未だ文字列になっていないものを、自分の言葉で他人に説明可能である」という含みである。それに対して「自転車の乗り方の知識がある」の場合は、反対に「自転車の乗り方というすでに文字列になっているものを知っている。そしてそれ以上ではない」(つまり自転車に乗ることはできない)という内容を含みうる。「知識」という語は、「学習の対象」であることを意味している。だから「知識がある」という言い方は「学習の対象としてすでにあらかじめ存在しているものを、学習済みである」ことを意味する。なので「自転車に乗ることができる」と言わずにあえて「自転車の乗り方の知識がある」と発話した場合、それは学習がまだ途上であること、単に「学習対象の文字列を記憶済である」こと以上を意味できない。「乗り方の知識を記憶済であり、かつ、それを理解している」場合なら「なら理解しているとだけ言えよ」となるだろうし、「乗り方の知識があり、そして乗ることもできる」場合なら「なら乗ることができるとだけ言えよ」となる。そういうことだ。

再び「知識・記憶」と「思考・理解」という対比

上記のように定式化し直してみると、先ほどの主張「同様に「知識」にしても「コトバでなら言える」知識もあれば「体で身に着いている」ほどの知識もある。」というくだりは、修正の必要がある。すなわち幅があるのは「知っていること」であって「知識」ではない、とである。「知識」に幅があるとしてもそれは既に学習した文字列の記憶の程度という幅でしかない(再認は可能という記憶段階と再生も可能という記憶段階など)。「体で身に着けているもの」「体得したもの」を「知識」とは通常呼ばないのである。

大まかに言って「教わったこと以上のことを知っている」という場合、それは「すでに教わった知識」と「それ以上の理解」というふうに使い分けられることになる。同様にして、「文字列になっていない多くの事柄」は「知っている対象」とは扱われても、それを「知識」とは呼ばれないことになる。たとえば、「自分がどれだけの単語を知っているかを知っている」「自分がこの単語を記憶したのは何月何日かを知っている」という「自己知」「エピソード記憶」や、「相手がどれだけの知識があるかを知っている」という「知(というか他者理解)」や、あるいは「オーボエの音色を知っている」「ベビースターラーメンの味を知っている」という「知覚・感覚的知」は、そういうわけで「知識」とは通常呼ばれない。したがって「知識・記憶/理解・思考」という二分法で学習対象を分別していったとき、それらは「知っている」という動詞とは連接できても、「知識」の対象には入らない。それらは「理解」などの対象に入るのだ。

あるいは、日常的に相手の無知を非難する際には「知識が無い」とは言わず「常識が無い」などという言い方をして、「知識」と「常識」とを使い分けるという方策も見られるだろう。「知っていて当然の事柄」を「常識」と呼び、「単に知っているだけの役に立たない事柄」を「知識」と呼んで区別するというわけだ。

欧米語では「知識」というのは、「頭の中にあるもの」を指すわけだが、日本語語彙の通常の用語法では、むしろ「頭の外にあるもの」「すでに文字列化されたもの」「これから学習する対象」を指す。そして、それ以外の「頭の中にあるもの(と思われているもの)」(「理解」や「常識」など)とは区別しようとする。

学力試験にはさまざまなものがあり、「すでに文字列化したものを単純記憶して再現する」タイプのものばかりではない。だが、ハイパーメリトクラシー下の言論では、学歴取得のための試験が悉くこの「知識」再現型のものばかりであるかのように言い募り、「したがって学歴があるからといって充分ではない」と述べ、そのことによって大企業や教職の募集で「新卒採用」を大幅に削減することを正当化してきた。そのこと自体も問題であるが、その一方で「知らないことによって理解することも行動することもできない」という学習者の側の弊害からは目を逸らし続けることにも貢献してきた。「知らないから理解できない」「知らないから行動できない」という弊害のほうは無かったことにして、「知っているだけで理解はしていない」「知っているだけで行動できない」ことの弊害のほうばかりを、針小棒大に言い募ることが行なわれてきた。そのことによって、新卒の採用を削減することが可能になったと同時に、学習者の方の「知らないことによって起こっている弊害」を訴求しづらくなる、という事態も可能にしてきた。そしてその言説状況に大きく貢献してきたのが「知っていること」を「知識」と呼び変えて、その矮小化された「知識」概念を用いた概念操作によって言説を正当化する、という所作であった。


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