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2018-03-09 80年代難関中学ごとの「優秀異性存在校」出身率

「男子も女子も優秀である子が安定的に輩出される公立小学校」の出身者比率を、1980年代の各難関中学の合格者ごとに算出してみた。開成が他より低く筑駒が他より高い、という傾向が析出された、と見たい。以下、詳細。

資料は、1982・83・85・86・87年の四谷大塚進学教室の合格者名簿である。この5ヶ年で「男子4名、女子4名以上」合格している公立小学校を列挙してみた。男子は「開成、麻布、武蔵、筑駒、栄光」の合格者数であり、女子は「桜蔭、女子学院、雙葉、フェリス」の合格者数であり、同一人物は何校合格していても1校分として算出。そのように複数校合格者の重複分を除外したうえで、各公立小学校ごとの合計数を算出した。又あきらかに小学校と異なる行政地区に居住している者は「越境」と見なして除外した。このようにして、基準となる公立小学校を84校選定し、今度は複数校合格者を除外しないで、各校ごとにそれらの小学校出身者の占有率を算出した。ただし、栄光とフェリスは判明合格者数が少ないし、その理由もある程度はっきりしているので、占有率の計算には加えなかった。理由というのは、四谷大塚の教室が東京都内にばかりこの時期あったのに対し、これらの2校は神奈川県にあり、そのため神奈川県を本拠地とする日能研などの塾に合格者の大半が占められているため、である。

このようにして算出すると、「同じ小学校の同じ学区内に、自分と同レベル学力の異性が存在していた可能性の特に高い生徒」の数を割り出すことができる。「小学校のとき自分と同レベルの優秀な異性がいた」経験の持ち主が、同レベルの難関校のなかでも違いがある、という結果を見ることができる。結果として、東京・神奈川の都心部に居住している者に受験資格を限定している筑駒が比較的高く、居住地が首都圏の全般にいちばんまんべんなく分散してしまう開成がこの割合が比較的低い、という結果が得られた。あとの学校はそれほどの大差はない、と見ても良いのではないだろうか。いずれにせよ、そのことが何かの結果に帰結しているかどうかは、これだけでは何とも言えない。

たとえば「スクールカラー→男女均等合格地域出身者率」という因果関係を想定する者もいるだろう。しかし「男女均等合格地域出身者率→スクールカラー」という因果関係もまた想定しうるものである。因果関係の想定に関してはなるべく断定しないで慎重に見たほうが安全だと思う。

今回割り出した公立校を「男女均等合格校」と呼んでみたり「異性大量合格校」「優秀異性存在校」などと呼んでみたりした。「男女の平等」が学力上体現されている地域を割出すためには、「男女差が小さい」という基準も設定可能だが、多くの場合、「絶対数が少ない」学校は「男女差が小さい」という結果になりやすく、要するに偶然男女差が少ないだけ、という場合が多い。なので、今回は、ともかく男子も女子も絶対数が少なくないこと、に基準を置いた。男女差は大きい学校もあるが、それでも少ない方の性別でも絶対数が一定程度ある、ということに基準を置いたのである。この場合なら、仮に男女差が大きくてもなお「優秀な異性の存在」自体は経験されやすい環境であると言い切れるからである。

各校の「異性大量合格校(=男女均等合格校)からの合格数占有率」
項目 麻布合格者 開成合格者 武蔵合格者 筑駒合格者 桜蔭合格者 女子学院合格者 雙葉合格者
集計合格者総数 (私国立小から含む) 982名 915名 548名 488名 1086名 1100名 413名
「異性大量合格公立校」 からの合格者数 226名 138名 121名 129名 217名 219名 86名
「異性大量合格公立校」 からの合格者占有率 23.01% 15.08% 22.08% 26.43% 19.98% 19.90% 20.82%

今回選ばれた84校の所属する管轄署は以下のとおりである。生徒の居住地域と小学校の所属する管轄署が完全に同じとは限らないので注意。

  • 千葉柏署内公立小学校:3校
  • 千葉市川署内公立小学校:5校
  • 東京千代田区麹町署内公立小学校:1校
  • 東京港区麻布署内公立小学校:1校
  • 東京港区赤坂署内公立小学校:1校
  • 東京港区高輪署内公立小学校;1校
  • 東京品川区品川署内公立小学校:1校
  • 東京品川区大崎署内公立小学校:1校
  • 東京大田区大森署内公立小学校:1校
  • 東京大田区池上署内公立小学校:1校
  • 東京大田区田園調布署内公立小学校:4校
  • 東京目黒区目黒署内公立小学校:4校
  • 東京目黒区碑文谷署内公立小学校:1校
  • 東京渋谷区渋谷署内公立小学校:1校
  • 東京渋谷区代々木署内公立小学校:2校
  • 東京世田谷区世田谷署内公立小学校:2校
  • 東京世田谷区玉川署内公立小学校:3校
  • 東京世田谷区北沢署内公立小学校:3校
  • 東京世田谷区成城署内公立小学校:4校
  • 東京新宿区新宿署内公立小学校:1校
  • 東京新宿区牛込署内公立小学校:1校
  • 東京新宿区戸塚署内公立小学校:1校
  • 東京中野区中野署内公立小学校:2校
  • 東京中野区野方署内公立小学校:2校
  • 東京杉並区高井戸署内公立小学校:3校
  • 東京杉並区杉並署内公立小学校:4校
  • 東京杉並区荻窪署内公立小学校:1校
  • 東京豊島区目白署内公立小学校:1校
  • 東京文京区大塚署内公立小学校:1校
  • 東京文京区本富士署内公立小学校:1校
  • 東京板橋区志村署内公立小学校:1校
  • 東京練馬区練馬署内公立小学校:2校
  • 東京練馬区石神井署内公立小学校:2校
  • 東京武蔵野署内公立小学校:1校
  • 東京三鷹署内公立小学校:2校
  • 東京小金井署内公立小学校:1校
  • 東京町田署内公立小学校:2校
  • 神奈川川崎市宮前署内公立小学校:2校
  • 神奈川川崎市麻生署内公立小学校:1校
  • 神奈川横浜市青葉署内公立小学校:5校
  • 神奈川横浜市港北署内公立小学校:2校
  • 神奈川横浜市神奈川署内公立小学校:1校
  • 神奈川横浜市緑署内公立小学校:1校
  • 神奈川横浜市旭署内公立小学校:1校
  • 神奈川横浜市栄署内公立小学校:1校

2018-03-13 佐野眞一「ルポ下層社会」の後始末

佐野眞一「ルポ下層社会」が昔ジャーナリスティックに話題になったが、その話題になるなり方が皮相なものであり、あまり良い影響を及ぼさないものであった。しかもその割にあまり、きちんとした清算がなされていない。なので馬鹿馬鹿しいが、筆者が後始末の試みをしょうがなく行なっておく。佐野眞一「ルポ下層社会―改革に棄てられた家族を見よ」,『文藝春秋』二〇〇六年四月号→『この国の品質』(2007,ビジネス社)。

まず最初に佐野がどの程度の思慮の深さをもつ人間なのかを確かめておこう。最初にこれをやっておかないと、単なる無考えに基づく結果なのか、それとも一周深い考えに基づく結果なのかが、にわかに判断がつかないからだ。そのために丁度良いと思える箇所がある。単行本だとp323-324の次の箇所である。

リストラなどの経済的理由が全体の四分の一を占める自殺者に関していうなら、足立区はこの面でも東京二十三区で群を抜いている。その数(二〇〇三年)は百八十二名と、東京二十三区全体の年間自殺者総数千九百五十四名の約一割を占めている。足立区では二日に一人の割合で誰かが死を選んでいることになる。

そこでこの結果がどの程度驚くべきものなのかを念のため検証する。東京都統計年鑑 平成18年によると、2003年10月の足立区の人口が622522人であり、東京23区の人口は8362231人であるので、足立区の人口は東京23区全体の人口の約7.4%になる。一方、足立区の自殺者は東京23区全体の自殺者の約9.3%になる。二日に一人という箇所は不要だろう。約7.4%と約9.3%とはそれほどに大きい違いではないようだ。なので足立区が特に異常なまでに自殺者が多い区であるとは言えそうにない。もし、異常に多いと述べたいのなら統計的検定を行なうとか、自殺率が高い区が足立区に類似した区に集中していることを示すなどして、より精密な説明を行なう必要があるだろうが、もちろん佐野はそんなものは述べていない。ならば、この自殺者の状況を見て、足立区に何か驚くべきものを発見したと言って騒ぎ立てるのはおかしい。もし足立区の自殺者の絶対数が多いといって驚きたいのなら、23区全体の自殺者の絶対数はもっともっと多いことになるからもっと驚く必要があるはずだがそんなことも述べていない。要するに佐野はこのくらいの頭脳の持ち主であり、同時にその程度の頭脳の持ち主を想定したルポなのである。そのことがわかった。これで、佐野のルポを読む側の態度も決定しやすくなる。つまり深読みは不要である。

さてこの佐野の「ルポ下層社会」の問題点だが、何といっても「何のためにこのルポを公表したのかその目的が不明」ということが一番大きい問題点である。「足立区の貧困家庭の存在」を訴えているルポである。ならばその解決のために発表されたルポなのか、とまずは思うはずだ。しかしこのルポを発表することによって、その解決のために寄与するのか、その点がすこぶる疑わしいのである。たとえば一つの解決方法として、発表時の区長は「担税能力の高い人がもっと多く足立区に住むようにする」というものを述べていた。確かに、そうすれば福祉行政に必要な「財源」の問題が前進する可能性がある。ところが佐野のこのルポを公表して足立区のイメージが悪くなると、「もっと地価の高い地域に住むことのできる経済力のある人」は足立区に住む可能性がより低くなる。足立区にわざわざ住みたがる人が減り、足立区でないと住むことができない人の割合が高まるほど、足立区の財源が逼迫して、福祉行政がますます困難になるというわけだ。そのような悪循環の働く可能性はルポの中で前の共産区長が示唆していた。朝日新聞の記事がそうだったというわけだ。ところが佐野のこのルポはそれがもっと段違いにひどいのである。なので、佐野のこのルポの公表意図がまったく不明なのである。文藝春秋4月号掲載の「ルポ 下層社会」に対して足立区の見解を送付しましたという魚拓記事にも転載されているように、「足立区のイメージが損なわれ、格差社会を告発すべきところが結果的に格差を固定化する危険を招きはしないか」というような代物に佐野のルポはなっているのである。

公表目的が不明なことの一斑として、「なぜ媒体が文藝春秋誌なのかが不明」ということもある。というのも、この雑誌に公表したために、その固定読者層とのミスマッチによってより望ましくない受容のされ方をしたと言えるからだ。たとえば佐野は、前の共産区長と当時の自民区長とどちらの政策を、より支持しているのだろうか。それによって公表目的も違ってくるはずだ。そしてもし共産区長のほうを、より支持しているのであるとすれば、文藝春秋誌に発表するのは普通の場合良くない結果になるはずだ。というのも、固定読者層の多くが共産党などまったく不支持という層だからであり、したがって共産区長が行なった福祉政策・再配分政策を好意的には受け取らないだろうことが十分推定可能だからである。そして実際、この記事の読者のうち実際に区民である者に関しては、ある意味でやはり好意的には受け取らなかったと言いうる結果になったと見なすことができる。いずれにせよ、この記事の目的自体が不明瞭なのと、どのような読者層に訴求したいのかが不明瞭なのとは、連動しているのだ。

次の問題点はこうだ。なぜこのルポを「小泉政策の影響で日本全体が貧困化しつつある」というふうに述べずに「足立区に(ばかり)貧困が押し寄せている」というふうに述べたのか、あまりきちんとした根拠が無さそうに見受けられる、という点だ。佐野が「日本が全体として貧しくなった」ことに目を向けずに「足立区の貧困」にこだわる理由はおそらく足立区の就学援助率が突出していて朝日新聞などで報道され話題になったからである。しかしそれはこういうことに似ている。たとえばアフリカの途上国がいくつかあるうち、一つの国A国だけは「インフルエンザワクチン」の使用数が突出して多かったとしよう。それを知って「A国にはインフルエンザが蔓延している!大変だ!」と騒ぎ立てるようなものなのだ。むろんこの驚き方は間違っている。実はその途上国のうちA国だけがきちんとした医療機関があり、かつ、健康衛生に関しての意識の高い者が国営に携わっている国だったのだ。だから実際には調べてみればB国、C国にもインフルエンザが蔓延しており、かつ放置されている度合いがA国より高いのだ。「足立区の貧困」という「現象」の実態はおそらくそれと同様のものであり、「特に貧困なのが足立区である」という捉え方は間違っているのだ。掲載されたインタビューの中にある次の箇所のような対処が、足立区のおそらく全域で一定期間公式の形で行なわれていたと見るのが有力な見方であるだろう。

「足立区に来て一番びっくりしたのは、申し込む、申し込まないにかかわらず、就学援助の申し込み用紙が全員に回ってきたことです。千葉ではそんなことはありませんでした。

このルポではインタビューを掲載された多くの者が「就学援助があって助かっている」と大変に好意的に述べている。だから、多くの者が貧困にもかかわらず足立区の政策のおかげで大変助かっている、足立区は弱者に優しい住みやすい区だ、という方向でルポをまとめることはきわめて容易であるように思える。確かに担税能力の高い人に居住してほしい当時の自民区長は不満かもしれないが、先代の共産区長ならこの書き方ならさほど不快に思わないだろうと思う。だが佐野は絶対にそういう着地のさせ方をしない。いくら談話で区への感謝が語られても、本文全体の結論は「足立区の貧しさ、暗さ」といった話題に常に収斂するように書かれている。なぜこんな書き方を選ぶのか理由や目的がまったくわからない。わからないが、就学援助率の足立区の突出という事柄を否定的に捉えたくてたまらないのだろう、ということだけは推察できる。だがそれはせっかくのインタビューをかなり半端なものにしている。また実際に住民が貧しくても放置・無視されている自治体だってあるだろうことを想像しなさすぎである。

三つめの問題点は、佐野が取材した多くのケースは「女性の貧困」という問題であって、足立区との関係はほとんどない、ということである。というのも、これらのケースは女性に良い働き口が少ないということによって起こっているといいうる部分があり、それは足立区にのみ良い働き口が少ないという問題ではおそらく無く、全国各地に共通の問題である可能性がきわめて高いからである。この点に多少関連した話題を前共産区長はインタビューで縷々述べていたが佐野は何もコメントを付けていなかった。賛同しているということなのだろうか。だがそうだとしたら、やはり公表誌の選択を誤っているとしかいいようがないだろう。ジェンダーの問題をわざわざ文藝春秋誌で取り上げる意義は普通はあまりない。もっと適した媒体はあるのだ。

四つめの問題点は、「子供の学力」の何が社会問題なのかの軸足がまったく定まっていないことである。「学歴」の格差が社会問題であるという見方がまずありうる。この場合、学歴の違いによってたとえば良い就労や安定した収入につながったりつながらなかったりする。要するに学歴によって受ける恩恵が違いすぎることに問題があることになる。しかし佐野はその辺のことがさっぱりわかっていないため、東大卒の人間が受ける恩恵(が不当である)という話題ではなく、東大卒の人間の知性(の低劣さ)を問題にあげるだけであり、まったくそれは本題とは関係ない。東大中退の人間の知性は更に関係ない。また、学歴とはまったく関係なく、学力が低いことによってそれ自体で損害を被る可能性ももちろんあるが(例えば新聞の漢字が読めないとか)、そういった事柄に触れているわけでもない。学力の何が問題なのか軸足が定まっていないので、単に学力が低いといって騒いでいるだけであり、まったく迷惑なルポでしかない。

佐野に限らず多くの人がおそらく勘違いしている点があり、それは佐野にも当然共通している点である。それは「学力に格差がある」という問題と「学力が以前より下がっている」という問題と、「学力が絶対的に低い」という問題とは全部異なる、ということがわかっておらず混同していることだ。このルポの中で取り上げられているのは、主に「学力に地域格差がある」という問題だ。だがそれに関していえば、別にこのルポが書かれた頃の新傾向ではない。たとえば東京23区の「西側」と「東側」とで、大きく言って「西高東低」であるのは、ずっと以前からである。これはルポの中でインタビューされている人も必ずしもわかっていないので、特に注意が必要だ。あるいはわかっているのだが、よほど強いタブーなので知らないふりをしているだけだ。この点に関しては、中学受験の難関校の合格者分布によって、筆者は少しは示してきたのでこれ以上特に述べる必要はない。

地域格差に関して補足をする。佐野はこのルポのなかで次のように述べている。この2003年の調査というのは、おそらくネット上で公開されている、「学内広報」No.1277(https://www.u-tokyo.ac.jp/content/400004746.pdf)に収録された2002年の調査結果を2003年に発表したものではないかと思われる。このように出典がはっきりしない不正確な紹介の仕方も問題だし、調査対象が「自宅生」であることが全く紹介されていなかったのも問題だが、その内容はもっと問題である。

親の経済レベルと子どもの学力の関係については、東京大学学生生活委員会生活調査室が毎年行う「学生生活実態調査」がよく引き合いに出される。

この調査を二〇〇〇年以降の数字でみると、多少の上下はあるものの、東大に在学中の学生のうち、総体的には年収七百五十万円以上の高額所得者も、例年三割を占めている。

二〇〇三年の調査には、東大在学生の都内居住地の分布も棒グラフで示されている。それによると、足立・葛飾・荒川の東部三区が一・五パーセントなのに対し、世田谷・渋谷・目黒の西部三区は七・四パーセントと、約五倍にのぼっている。

この紹介の仕方にはいろいろと不満がある。上掲の推定された出典に掲載されたグラフは以下にスクリーンショットを転載する次のようなものである。このグラフをみて佐野は上掲引用のように述べたのだ。見る場所が違うだろうと言いたい。普通このグラフを見て驚く人が多いポイントは、「神奈川県在住者が千葉県と埼玉県を合計した分よりなお多い」のはずである。周知のように東京大学のキャンパスは東京都の文京区・目黒区とあとは千葉県の柏くらいのものである。それですら神奈川県の在住者がこんなにいるのである。だったら、神奈川県にキャンパスを2つ擁する慶應義塾大学や、横浜市緑区にキャンパスを一つもつ東工大、国立市にキャンパスをもつ一橋大、そして他にも明治大学、中央大学、青山学院大学などなどを考慮していったら、いったい神奈川県の有名大学在学者数はどれほどになるだろうか、ということなのである。そして「東京都の23区外」というのは要するに「神奈川県の隣接エリア」のことにほかならないのである。どうやら佐野は、調査者が「ここを見て下さい」と指示した箇所しか見ることのできない人のようだ。だが調査者が「ここを見て下さい」とばかりに提示する「23区の内訳」ばかり異常に細かいこの集計の仕方の発想自体が、もう全く時代遅れのものであり、地域格差を知るためにはあまりに不足なものでしかない。そのような設定に従って見えるものしか見ないのでは、問題の核心は見えてこない。

東大学生生活実態調査2002居住地結果

最後に少し振り返りたい。ここまで述べてきた事柄のなかで二つの事柄が並行的である。一つは「地域の貧困を公表すると地域のイメージが下がりますます貧困化が促進しかねない(裕福な人がいなくなると財源に困るため)」。もう一つは「地域の学力をきちんと調査しないと、またある程度その結果を(隠匿せずに)オープンにしないと、学力の地域格差が固定したまま放置されかねない」。この二つを整合的に理解するためにはどのようにすれば良いだろうか。足立区の学力が23区で最低であったのは、小泉改革のためなどでは無論なく、長年放置されてきたことの結果である。ただ、学力というのは子供の学力のことであり、つまりその居住地域を選ぶことのできない者の学力である。のみならず、その地域の学力が高いか低いかを子供が知ったからといって、結果が大きく変わるわけでもない。学力が低い地域の子供は「俺たちの学校馬鹿ばっかり」と認識しているから学力が低いというわけでは(あまり)ない。別に特にそう思わなくても学力はそんなには変わらないのだ。ようするに「地域の子供の学力の高さ」と「地域のイメージ」とはある程度独立である。独立でないのは「教える側や行政側の対応」と「対応相手の地域イメージ」のほうである。たとえば行政の担当者が「足立区の学力が23区で最低と聞いて驚きました」と述べるとき、まさにそのように驚くくらいにその状態を認識していなかったことが原因でそのような結果になった、と見なすことができるわけだ。一方、それに対して、「地域住民の経済力や所得」と「地域のイメージ」とは、子供の学力と子供のもつ地域イメージほどには独立ではない。この場合、世帯主がそのまま地域に対してイメージをもつ主体でもあり、嫌なら別の地域に移動することが可能であることがある。つまり経済力があれば地域を変わることができるため、少なくとも「地域のイメージ」が極端に良いとか悪いという場合は、住民の所得と相関する。それに地価も地域イメージの良しあしとある程度は相関するかもしれない。つまり地域イメージが特に良いと地価も高くなり、経済力のない人は土地を購入できなくなるし、反対に地域イメージが特に悪くなると地価も安くなり、経済力のない人ばかりが住むようになるかもしれないわけだ。そういうわけで、地域イメージと貧困とはまったく独立に扱うことができない。「あの地域は貧困な地域だ」と評判になれば、ますます貧困が加速し、福祉政策の財源も逼迫する、という悪循環が起こりうるのである。学力と経済との違いはそこにある。この点を指摘しておく。

そして佐野がまったく見なかったであろう本当の格差というのは、自然災害リスクの地域格差である。もちろん住民がおしなべて貧しい傾向にある地域は概して自然災害リスクも低くないのだ。特に地盤が弱く地震への耐性に乏しい。すべてはその自然的な格差の上に、もろもろの格差が上から様々な意匠として被さっているのだ。これを真剣に考えると格差問題はいっそう深刻になると思う。ようするに「貧しい人の住む地域は千年前から決まっていて固定的である」という話に近くなるのだ。しかしこれを直視できない者に未来の社会設計はできないだろう。この点に関しても努力している自治体は無論あり、自然災害に弱くないという地域イメージを打ち出そうとしている。いつも述べている内容だがそのことを最後に付記する。


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